同一労働、同一賃金って本当に実現できるのか?
まずはそもそも論から、「賃金」は労働成果に払われているのか?労働行為そのものに対してか?あるいは能力に対してか?
賃金という言葉の定義が思考の邪魔をするなら、ならシンプルにお金としよう。
このお金。現実にはそれぞれ支払う側が決めているし、自治体毎の最低賃金はあるが、もちろんその金額も決めている。
つまり同一労働同一賃金というのは、この現実に対して何らかのルールで支払う金額を労働内容に応じて誰かが決めると言うわけで、
現実的にはあまりに実現性のハードルが高い。
誰が決めて、誰が監視するのかなんてことすらたぶん今後決まらない。
では、改めて「そもそも」の「そもそも」。
なぜ同一労働、同一賃金を言い出したのか? これは案外長い歴史があって話が脱線するので、ウィキ参照の事。
ウィキを見ればわかる通り日本でも過去にその動きがあったが、労組も財界も反対して頓挫している。
またアメリカでも法制化はされていない。要するに、難しい。
しかし出来る事はいくつかある。まずお金を払う側が、お金の支払い基準が労働か成果か能力かを明確にする。
ここでのポイントは、その基準をどちらかにしなければなないというものではなく、混在していいという発想。
例えばコンビニバイトは就労時間に応じて払う金額の部分と、例えばシフトに従って働く”労働”そのものの部分と
店長不在の場合の対応と言った”能力”の部分で金額を明確にする事から始める。
これが身近なバイトの賃金から始まると、一般企業も無視できない様になる。
この考え方を発展させると、労働契約を結んでいること自体に給料が出るという発想にも繋がる。
この発想は、お金を支払う方にもメリットがある。いわゆる勤務時間外の不祥事や緊急連絡など、
仕事時間中の出来事ではないが、労働契約を結んでいるから従わなければならない事項についても
ある程度の拘束力を持たせることができるからだ
もちろんその金額は、休んだから支払われないなんて事は無い。契約しているから発生する給料だからだ。
また、成果として支払われる部分が明確になれば、頑張って成果を出せば貰えるお金がどれだけ変わるかがわかるし、
お金を支払う側は明示しなければいけないから成果を出した人にはきちんと払わなければなら無い。
支払うお金に差をつける事に正々堂々とした理由ができる。
能力に対して支払われるお金は、お金を支払う側が、その都度決めるものと半ば固定的に払うものに分ける。
例えば商業簿記二級とか英検一級ならそれを必要とする会社はそれに固定的にお金を払う。
女子社員が何らかのパーティに上司と同行しなければならない場合、女性であると言う能力にその際のお金を払う。
イケメンや美人が接客したり、腕のいい職人にお金を払いたいがあからさまにできない事だってあるだろう。
字が綺麗、声がいいと言う理由でお金を支払っていいはず。ブ男だから払わないのではなく、イケメンと言う能力が
仕事に(直接的成果がなくても)有効に働くから払う。
こんな感じで始めた方がよほど現実的だろう。
この方が同一価値労働とかわけのわからん定義にお金を支払う側が振り回されない方法だと思うがどうだろう?
種々の法整備も必要かもしれないが、このようなアイディアは働いて貰えるお金に対する透明度が上がる事は間違いないだろう。
この件とは別だが、そもそもなぜパートやアルバイト、期間工と言った雇用の際の賃金がいわゆる正社員より安いのだろう。
労働を欲する側のわがままに応えている働き方なのだから支払われる賃金は正社員より割高であるべきだと思うがどうだろう。
この発想も、安く都合よく使われる現状を壊す第一歩ではないかと思うし、非正規が正規社員から下に見られるというのも少しは
解消されるかもしれない。
まずはそもそも論から、「賃金」は労働成果に払われているのか?労働行為そのものに対してか?あるいは能力に対してか?
賃金という言葉の定義が思考の邪魔をするなら、ならシンプルにお金としよう。
このお金。現実にはそれぞれ支払う側が決めているし、自治体毎の最低賃金はあるが、もちろんその金額も決めている。
つまり同一労働同一賃金というのは、この現実に対して何らかのルールで支払う金額を労働内容に応じて誰かが決めると言うわけで、
現実的にはあまりに実現性のハードルが高い。
誰が決めて、誰が監視するのかなんてことすらたぶん今後決まらない。
では、改めて「そもそも」の「そもそも」。
なぜ同一労働、同一賃金を言い出したのか? これは案外長い歴史があって話が脱線するので、ウィキ参照の事。
ウィキを見ればわかる通り日本でも過去にその動きがあったが、労組も財界も反対して頓挫している。
またアメリカでも法制化はされていない。要するに、難しい。
しかし出来る事はいくつかある。まずお金を払う側が、お金の支払い基準が労働か成果か能力かを明確にする。
ここでのポイントは、その基準をどちらかにしなければなないというものではなく、混在していいという発想。
例えばコンビニバイトは就労時間に応じて払う金額の部分と、例えばシフトに従って働く”労働”そのものの部分と
店長不在の場合の対応と言った”能力”の部分で金額を明確にする事から始める。
これが身近なバイトの賃金から始まると、一般企業も無視できない様になる。
この考え方を発展させると、労働契約を結んでいること自体に給料が出るという発想にも繋がる。
この発想は、お金を支払う方にもメリットがある。いわゆる勤務時間外の不祥事や緊急連絡など、
仕事時間中の出来事ではないが、労働契約を結んでいるから従わなければならない事項についても
ある程度の拘束力を持たせることができるからだ
もちろんその金額は、休んだから支払われないなんて事は無い。契約しているから発生する給料だからだ。
また、成果として支払われる部分が明確になれば、頑張って成果を出せば貰えるお金がどれだけ変わるかがわかるし、
お金を支払う側は明示しなければいけないから成果を出した人にはきちんと払わなければなら無い。
支払うお金に差をつける事に正々堂々とした理由ができる。
能力に対して支払われるお金は、お金を支払う側が、その都度決めるものと半ば固定的に払うものに分ける。
例えば商業簿記二級とか英検一級ならそれを必要とする会社はそれに固定的にお金を払う。
女子社員が何らかのパーティに上司と同行しなければならない場合、女性であると言う能力にその際のお金を払う。
イケメンや美人が接客したり、腕のいい職人にお金を払いたいがあからさまにできない事だってあるだろう。
字が綺麗、声がいいと言う理由でお金を支払っていいはず。ブ男だから払わないのではなく、イケメンと言う能力が
仕事に(直接的成果がなくても)有効に働くから払う。
こんな感じで始めた方がよほど現実的だろう。
この方が同一価値労働とかわけのわからん定義にお金を支払う側が振り回されない方法だと思うがどうだろう?
種々の法整備も必要かもしれないが、このようなアイディアは働いて貰えるお金に対する透明度が上がる事は間違いないだろう。
この件とは別だが、そもそもなぜパートやアルバイト、期間工と言った雇用の際の賃金がいわゆる正社員より安いのだろう。
労働を欲する側のわがままに応えている働き方なのだから支払われる賃金は正社員より割高であるべきだと思うがどうだろう。
この発想も、安く都合よく使われる現状を壊す第一歩ではないかと思うし、非正規が正規社員から下に見られるというのも少しは
解消されるかもしれない。