18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

内藤VS亀田

2007-10-13 08:58:52 | スポーツ
内藤選手と亀田大毅選手とのタイトルマッチは、おおかたの予想通りチャンピオンのタイトル防衛で終わった。

これまた予想通り、若い大毅選手の健闘に拍手を贈る者もいなかった。

試合前に大口を叩いていたのは、相手へのブラフであったりするものだし、まあある種盛り上げるためには欠かせないものだと思う。

タイトルマッチを戦おうとしているボクサー同士がお互いに相手の事を持ち上げ合うと言うのも少々気味が悪いから、どちらかといえばお互いに罵り会うぐらい盛り上がったほうがいいと思っている。

しかし、試合前にそういったやり取りがあったとしても、試合終了後には、互いに健闘を称えあうシーンを何度となく私たちは見てきたし、今回も試合後にもそういったシーンが見られる事を少し期待していたが残念だが、負けた亀田陣営は会見も無くそそくさと会場を後にした。

この試合と試合後の様子を見て、亀田ファミリーはボクシングを舐めていたのがよくわかる。

実際にグローブをはめて戦っていた両選手は勿論大変な練習を積んで来たはずだ。なのに亀田選手は試合の最後に自分の積み重ねて来た事を自ら否定してしまった。


ボクシングでは勝てなくて試合中にボクシングを止めてしまったのだ。


なんだかんだと言いながらきっと亀田ファミリーは本気で真面目にボクシングでチャンピオンになろうとやってきたに違いない。生半可な気持ではなかったはずだ。

しかし、どこからか微妙にズレはじめた。




テレビに映ることが増えて、関西弁の敢えて「粗野」で「生意気」な物言いが新鮮に受け止められたのだろう。それがとどまることなく、本人達も気づかない内に「増長」へと変ってきた。



本当ならば、大人が、父親が「テレビ」と「テレビの外」を使い分けるようにきちんとしつけていれば良かったのだろうが、これも残念なことに、父親自体もだんだんと軌道を外れていった。



だれも止められない、増長した親子。繰り返される罵詈雑言も限度を越えてきていた。多くのボクシングファンが眉をひそめてきているのにも気づかず、或いは気づかされずにいた。


どこかで「ボクシングで勝つという純粋な気持」から、ただ単に勝つことにだけ執着するようになってしまった。



遅かれ早かれ、こういう結果になるのは見えていた。




試合後「一から出直し」と亀田父は言ったそうだ。




「一からの出直し」には、いままでの増長、許されると思ってやってきた罵詈雑言、子どもの躾も、そして自分自身の事も含めていて欲しいと思うのは私だけではないだろう。










将来を考える政治の筈が~ばらまき民主党~

2007-10-08 01:26:25 | 
 民主党が、マニフェストで発表していた、0才から中学卒業までの子ども一人月額26000円を支給するという政策。

 耳にいいマニフェストだが本当にそれを実施してもよいか?


 うちにも子どもがいる。しかも三人。いまこの法案が成立しすぐに至急されれば78000円もの手当が支給される。嬉しい話だ。正直言ってありがたいし助かる。

 でも、そんな問題よりももっと切実な話がある。たとえば保育所にこどもを預けて働きたい家庭、幼稚園と保育所の統括省庁の違いによる矛盾。親子のふれあいが極端に減ってしまっている単身赴任という問題。よい教員が増えず、性犯罪さえ犯してしまう教職員の問題。

 26000円ものお金を支給するのもいいのかも知れないが、個人が解決できない問題にさっさと手を付けて、住みやすい環境を作るのが本来の政治の役割ではないか?


 甘い公約を掲げた民主党。住みやすい、安心して生活できる日本にするための政策が、26000円の支給か?

 日本人の貯蓄率がおそろしいほど高いのは、みんな老後に不安があるからだ。だれも今の年金制度が維持できるとは思っていない。いまも大事だが、働けなくなったとき、動けなくなったときにちゃんと助けてくれるシステム作りが必要なのではないか?

 将来に本当に安心できるというのを分かりやすく、定年になっても、収入を得る方法がなくなっても、生活をしっかり保障するというのがもっとも重要なことではないか?


 動ける人は動く、働ける人は働く。働く事、社会の中でだれかの役に立つことで自分自身の存在価値を実感できることを人は色んな事を通じて理解する。そういう場面を増やしてゆくのも政治。

 また、働けなくなった人をちゃんと受け止めて、しっかりと支える制度や仕組み作りも政治の役割の筈である。


 もっと大局観をもって望めば、いま何をすべきか、何を削り、何を支えるべきか分かるはずである。

 民主党は、ここぞとばかり、耳によい公約や演説を繰り返した。財源もあるというその公約。そんなことをしている場合なのだろうか?

 冷静に見てみれば、民主党の政策で注目されているものは、その時の都合に合わせた「ばらまき」政策だ。つまり、民主党そのものは何も出来ないと認めたに等しい。26000円の支給、農家保護としてのばらまき。

 そんなことをしていると、あちこちから「うちにも!」と言われ「はいはい」と答えばらまき続けなければならくなる。

ちなみに、この政策には5兆円もの財源が必要なのだそうだ。5兆円の使い道、もっと他にあるはずだ。


 自分に甘く囁く人ほど、自分にとって為にならない存在である。特に政治については注意すべきだ。故にわたしは民主党を警戒する。もちろん彼らが下らない、幼稚な連中であったという事実もまだ消えてはいないからなおさらである。





 


最近の弁護って怖くない?

2007-10-03 00:05:06 | 社会・経済
 光市の母子殺人事件にしても、北九州市の飲酒追突事件にしても、最近の弁護士ってなんでもアリ?

 光市の件は、橋下弁護士との件があり、Webに公開される形でその事件の詳細及び、最高裁の審議差し戻しについて詳しく書いてあり、如何に弁護団が「裁判所の意思」を無視した形で裁判を行っているかということが本当によく分かる。

 さらに、今日のニュースでは、北九州市の事件の弁護士が、追突された側が居眠りしていたとまで主張する始末。


 弁護側が状況証拠(にもならない)ことを並べて被告を弁護していいのか?大上さんが異常な低速(時速30KM)で走っていたことが悪いだの、追突してから落下までの40メートルの間になんら回避行動を取っていなかっただのと難癖付けて、被告の情状を酌量するにしても人の神経逆撫でしているというか、常識はずれもいいところだといえる。


 弁護士が幼い?幼稚?なのかなぁ・・・弁護士になるぐらいだから知能指数は高いのだろうけども、あまりにひどい弁護のやり方だし、被害者の気持をくむ必要など一切無いかのような、被害者にも問題があったという裁判所での発言はちょっとひどいというか、かなり、相当ひどい。

 適性検査を受けるべきだ。


 たとえば、時速30Kmだという大上さんの車が、40mもはじき飛ばされるにはどれくらいの勢いで車が追突しなければならないか? また40mもはじき飛ばされる間にかかった時間は何秒だったか?さらに「突然後ろから追突されたら」回避動作以前に、一体何が起こったのかの把握すらすぐに出来ない筈である。常識でわからないのならこの弁護士を車にのせた車を時速30Kmで走らせて、後ろから、タイミングもなんにも知らせずに40mはじき飛ばされるぐらいに追突したときに、どういう判断が可能なのか?回避動作は本当に可能なのかをやってみればいい。


 以前、軽く後ろから追突されたことがある。「コン」っていう程度だ。それでも、何が起こった?と把握するまで5秒ぐらいは要している。ところが、また別の時。前にいた車がバックしてきた。こちらの存在を見ていないのか心配だったので、クラクションを鳴らしたが、聞こえなかったのか、逆追突されてしまった。


 当たり前だが、目の前に見えていて車の様子がしっかり把握できるならば、「あ、この車、こっちに気づいていないかも」と察知してクラクションぐらいは鳴らせるが、それでもそのぐらいの時間的余裕しかない。クラクションを鳴らしてからぶつかるまで5秒とかかっていない。


 北九州の場合、車は後ろから、しかも夜間。どれくらいのスピードかをじっくり見ていると前方不注意になる。加害者言うとおり、車が時速80kmで走っていたら1秒で22.2m進む。最初に車のライトを100m後ろで確認して、2秒後に後方を確認したらどうなるか?

 ライトの認知~後方確認(1秒)、前方の確認(2秒)、再度後方を確認(1秒)とするとこれだけで4秒。この間だけで既に88.88m進んでいて、残りは約11m。ただし被害者の車も前進している訳だから、それがかりに時速30kmだとすると1秒あたり8.3m進むので4秒あれば33.2m進む。この時点で残り44m。80kmで走る車と30kmで進む車なら3.14秒で追突できる。

 

 
 つまり、100m後方のライトの認知(橋が水平で100m先まで見通せたとして)からたったの7.14秒後に衝突しているのである。


 あなたは、夜間の後方の車のライトを認知した最初の1秒で、その車が猛スピードで走ってくると認識できますか?2回目の認識の時にはもう背後に迫っていて、その3.14秒後には追突されていて回避行動が取れますか?


 加害者は時速80Kmぐらいと言ってるが、RV車が40mもはじき飛ばされるには、もっとスピードがいるんじゃないか?と言う点が疑問でもある。そうするともっと短い時間で事故が起こった可能性がある。



 いずれにしても、事故で幼い命がなくなった。車に乗る場合には事故にそれぞれが気を付けるものだと思うが、今回の様に後方からの追突で車が橋から落下し子どもの命が失われたというのは、あまりにも被害者の心情を複雑にしている。加害者は自分のやったことがどれほど大したことではないと言ったとしても、そういうことですまされるものではない事を認識すべきだ。

 50kmで走っていたから責任が軽いのか?100kmで走っていたから責任が重いのかという問題ではないだろう。子どもの命は、間接的であるとはいえ追突した車が奪ったのだから。事実は事実として受け入れた上で、弁護士は弁護をすべきではないか?弁護士は推測でしかない被害者の落ち度を指摘してまでの弁護は本当に必要なのか?