ぼん天こく ②
さて、帝は、(年代からすると淳和天皇となる)公家大臣を集めると、
「本当に、五條の中将は、梵天王の婿になったのか。」
と問い質しました。それが本当であることが分かると、帝は、
「我、十全の位を受けて、四海を掌に知るとはいえども、未だかつて、天の与える后は
持たぬ。急いで、中将の館に行って、その天女を連れて参れ。」
と、言うのでした。急いで勅使が五條の館へと立ちました。これを聞いた中将は、
「帝の宣旨とあるならば、命をも差し上げようとも思います。しかしながら、夫婦の仲
を引き分けて、后に召し上げようというのは、如何なものでしょうか。それは又、この
中将の恥辱です。このことにおいては、どうかお許し下さい。」
と、返事をしたのでした。これを聞いた帝は、武士に命じて無理矢理にでも、天女を召
し上げようとします。
出兵を命じられた松王兵庫の守正重は、五條へ押し寄せて、中将の館を取り囲んで、
鬨の声を上げました。中将の館は、突然の寄せ手に、上を下への大騒ぎとなりましたが、
郎等の桑原左近の尉は少しも騒がず、表櫓に走り登ると、
「只今、ここに押し寄せて、鬨の声を上げるのは何者か。名を名乗れ。」
と、呼ばわりました。寄せ手の大将正重は、馬に跨り飛んで出ると、掘りの端に馬を止
め、鐙を踏ん張り立ち上がり、
「只今、ここに押し寄せて、鬨の声を上げるのは、誰有ろう、松王兵庫の守正重である。
五條の中将は、帝の宣旨に背いた罪人であるぞ。すぐに、天女を渡されよ。出さねば、
攻め入って、奪い取る。」
と、大音声を上げました。桑原はあざ笑って、
「何々、正重が、寄せて来たというのか。ではでは、手並みを見せてやろうか。」
と言うと、櫓を飛んで降り、敵味方が入り乱れての戦いとなりました。しかし、多勢に
無勢、中将方の兵も残り少なくなってしまいます。桑原は、中将の御前に出ると、
「我が君様。この合戦は、天下を敵とする戦いですから、勝つ戦とも思えません。最早、
御自害なされませ。」
と進言しました。これを聞いた中将も、もうこれまでと思い切り、腰の刀に手を掛けて、
自害しようとしましたが、その時、天女御前は、
「私一人を残されても、風に脆い露の身を隠す所もありません。先ず、私を刺し殺して
から、どのようでもしてください。」
と、袂に縋って泣くのでした。意を決した中将は、右手で姫の手を取り、左手抜き身の
刀を持って、表櫓へと上りました。桑原左近の尉も付き従って、櫓に上ると大音声を上げて、
「如何に、敵の軍兵ども。物を語らば、確かに聞け。只今、中将殿も天女御前も、御自
害なされるのを、侍の鏡として、手本にせよ。」
と言いました。しかし、大将兵庫の守を始めとし、寄せ手の軍兵どもは、初めて目にする
天女御前の姿にうっとりとして、
「誠に、輝くばかりの天女御前。理由も無い事で自害するのは、もったいない。」
と、溜息をつくのでした。大将正重は、
「如何に、中将殿。先々、これより某は、帝に上り、なんとか申し開きをすることにする。
勅使が来るまで、御自害は、思いとどまり下さい。」
と、言うなり、内裏に飛んで帰って行ったのでした。正重は、中将が天女御前諸共に自害し
ようとしていることを奏聞して、様々と申し開きをしました。しかし、帝は聞き入れず、
「兎に角、天女を連れて来い。」
とばかりです。さすがの正重も、やりきれなくなって、嘆きの一首を詠みました。
「雲井より 降ろす嵐の 激しくて 糸にも露の 塵も止めなん」
これには、とうとう、帝も、折れましたが、諦めはしませんでした。
「それならば、迦陵頻伽(かりょうびんが)、孔雀の鳥を、七日間、内裏に上げよ。そ
れができないのなら、天女を上げよ。」
という難題を突きつけたのでした。正重は、急いで五條の館に戻ると、宣旨を伝えて陣
を引いたのでした。
この人々のお命の危ういこと、なかなか、申すばかりはありません。
つづく
この挿絵は、宝永の頃の鱗形屋孫兵衛板(赤木文庫)です。