くまがえ先陣問答 ③
さて、直家一行を襲撃した季重(すえしげ)は、急いで熊谷に戻ると早速に、北の方
と縁組みの相談をしました。北の方は喜んで、二人の姫を近づけると、
「お前達の兄、直家は、鎌倉殿にお暇も申さずに、善光寺に参ったにより、頼朝公がご
立腹。鎌倉よりの追っ手が向かい、信濃の国にて討たれました。しかしながら、
後の所領は、お前達や私に給わるとのお達しであるぞよ。」
と、まったくの嘘八百を伝えました。これを聞いた姉妹は、優しかった兄を慕って、泣
き崩れました。そんな様子も一顧だにせずに、北の方は、玉鶴姫だけを、別間に連れ出
すと、
「いかに、玉鶴。母の考えを聞きなさい。私の考えでは、季重の二男小太郎を婿に迎えて、
お前と一緒にして、この家を継がせようと思っていますが、どう思いますか。」
と、言いました。玉鶴は、驚いて、
「いかに、母上様。兄上が討たれても、本領安堵であるならば、幸い、姉上がいらっし
ゃるのですから、姉上を差し置いて、妹の私が、どうして家を継げましょうか。私が思
いますには、鎌倉殿へご相談あって、どなたか良き方を迎えて、姉と一緒にして、家を
継がせるのが良いと思います。」
と、答えました。すると、母は大変に腹を立てて、
「いくら、幼いとはいえ、母の心も分からないのですか。桂の前は、私の子ではありま
せんよ。何事も、母に任せておけばよいのです。分かったか玉鶴。」
と、叱りつけました。それでも、玉鶴は健気にも、
「これは、恨めしいお言葉です。いかに、母上様のお腹を痛めた子では無いとは言え、
私にとっては、幼き時より共に育ち、互いに慈しみ合う姉と妹。よく、考えてもみてく
ださい。もしも、そのような事が、世間の人々が知ったなら、我が子を世に立てて、継
子を虐める邪険な母親と、後ろ指を指されますよ。継子と本子を差別するのは、卑しき
者のすることです。お考え直してください。」
と、泣いて縋り付きました。母上は、これを聞くと、顔を真っ赤にして、
「ええ、母よりも姉を重く思うのじゃな。それほど、姉とつるんでおいて、母に背く
とは、腹立たしい限り。今日からは、もう娘を持ったとは思いません。お前も母を
持ったと、思うなよ。」
と、怒鳴りつけると、ぷいっと立って、障子をばたんと締めて行ってしまいました。玉
鶴は、
「これは、これは、浅ましい。母上には、物が憑いて、狂ってしまったとしか思えない。
例え、母の不興を蒙るとしても、姉をさておいて、私が家を継ぐなどということは、考
えることもできない。」
と、また、泣き崩れてしまいます。その様子を障子の向こうで聞いていた、桂の前の
心の内は、いたわしいばかりです。桂の前は、すっと障子を開けると、玉鶴にいだきつ
きました。
「玉鶴よ、頼もしい今の言葉、しかと聞きました。その言葉は、未来永劫変わらないこ
とでしょう。しかしながら、私はもう、ここに居ても仕方ありません。俗世を捨てて、
後世の営みをいたしましょう。お前は、ここに留まって、母の仰せに従って、孝行を尽
くしなさい。お前を恨む心は少しもありませんよ。」
と、桂の前は、玉鶴を慰めるのでした。すると今度は、桂の前が呼びつけられました。
北の方は、桂の前にこう言うのでした。
「いかに、桂の前、この屋敷を、玉鶴に給わるとの鎌倉殿よりのご命令。今日からは、
玉鶴を、お前の主人と思いなさいよ。姉妹の振りなどしたらば、この家には置いておき
ませんからね。」
いたわしの桂の前は、返す言葉も無く、俯いてじっと嗚咽を堪えていましたが、溢れる
涙が、乱れ髪を玉のように伝って落ちました。これを見た北の方は、
「お前は、ご主人様から、安堵を給わったのだぞよ。このように目出度い時に、泣き顔
を見せるとは、どういう了見じゃ。それ程に泣きたいなら、もっと泣かしてやろうか。」
と、逆上して、手にした扇を持ち直すと、力任せに散々に桂の前を叩きました。桂の前
は、倒れ伏して、ただ静かに、じっと涙をかみしめていました。北の方はますます興奮
して、下人を呼びつけると、
「それなる女を、門より外に引き出せ、早く、追い出してしまいなさい。」
と、叫びました。情けも知らない下人共がよってたかって、桂の前を引きずり出し、
門の外に追い出す有様は、目も当てられぬ次第です。
あまりにも突然に、門外に打ち捨てられてしまった桂の前は、どこに行くあても無く、
道端に倒れ伏すと、今度は、声を限りに泣きました。まったく、夢か現かと、茫然自失
の有様です。
「母上様、二歳の春に別れた母上の姿も覚えていませんが、母上様がいらっしゃれば、
このようなことにはなりませんでした。父には捨てられ、兄は亡くなり、どこにも頼る
ところもない私を、どうしてこの世に置き去りにして、辛い思いをさせるのですか。
少しも早く、迎えに来てください。草場の陰の母上様。」
と、悶え嘆いて泣き続けましたが、やがて疲れ果て、とある朽ち木を枕として、うとう
と眠ってしまったのでした。この有様を、哀れに思った冥途の母上は、やがて枕神とし
て、桂の前の前に現れました。
「やあ、いかに、桂の前。私は、乳房の母ですよ。あなたが、あんまり嘆くので、そ
の声が、冥途まで聞こえてきましたよ。私も、悲しくなって、これまでやって来ました。
さあ、桂の前、よく聞きなさい。あなたの兄、直家は、継母と季重の計略によって討た
れようとはしましたが、不思議の力によって、生き延びて、私の兄である岡部の六弥太
忠純を頼って、能登の国へ落ち延びました。あなたもこれより、能登の国へと、叔父を
尋ねて行きなさい。しかし、その姿のままでは、旅もままなりません。あそこの森の
中に比丘尼寺がありますから、そこに行って尼になりなさい。そうして、能登を尋ねる
のです。いいですね桂の前。」
と言って、桂の前を抱きしめて泣きました。桂の前は、はっと目覚めて、母親に抱き付
こうとしましたが、手は宙を泳ぎました。
「母上様、今一度、面影を見せてください。」
と、泣き叫びましたが、野花にそよぐ風の外に答えるものはありませんでした。
母の教えに勇貴を得た桂の前は、やがて、比丘尼寺を探して森へと歩き始めました。
寺は、思いの外、すぐに見つかりました。こんなところに寺があったのでしょうか。
まるで、寺の方が桂の前に現れたようでした。案内を乞うと、中から年頃の尼が現れま
した。桂の前は、事の次第を告げると、万事よろしくお願いしますと、涙ながらに頼み
込みました。尼公(にこう)は、哀れに思われて、桂の前を招き入れると、様々といた
わってくれたのでした。母のような慈しみに、桂の前は、ようやくほっとしましたが、
それにしても、桂の前の心の内の哀れさは、言いようもありません。
つづく
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