古浄瑠璃正本集第1(9)には、藤原吉次(ふじわらのよしつぐ)という太夫が登場する。1600年代の初頭に京都で活躍し、河内介、若狭掾を受領したというから、人気の太夫であったようだ。この正本には、「キリ」という節が入っているのが特徴的である。例えば、次の様な用例が見られる。
「思い思いに立ち出でて、大和の国へと、(キリ)急ぐに程無く」
普通ならば、「大和の国へと急がるる。急ぐに程無く」となるところであろうが、言葉の繰り返しを廃してテンポ良く運ぼうとする為なのか、前段の述語を省略する「キリ」という節が沢山出て来る。読むだけでは、ぶっきらぼうに、切れている様にしか感じないが、この間を三味線が繋いで、舞台転換をしていると思うと、なるべく余計な事は語らないで、視覚的に分からせようとしているのではないかと思われ、往事の舞台が目に浮かぶ。誤植が多いのか、まったく読解できない箇所が、多数あって難渋した。
いけとり夜うち ①
人皇九十四代、萩原の院の御代(正しくは95代花園天皇)のことです。大和の国の守護である守屋の判官秋友は、栄耀の身分ではありましたが、四十歳になっても、お世継ぎがありませんでしたので、氏神である春日大社に申し子をしたのでした。満願の夜に春日大明神のお告げがありました。春日大明神は、白木の弓に、鏑矢(かぶらや)を添えて、枕元に投げ置くと、次の様な神託を下されたのでした。
「男子を一人、与える。しかし、この子が十三歳になる年に、母は必ず死ぬであろう。十五歳になったなら、都へ参内し、若君と共にこの弓を、御門のお目に掛けなさい。そうすれば末世の奇特と名を留めるであろう。」
やがて、神託の通り若君が授かりました。若君のお名前は、弓矢に因んで、弦王丸(つるおうまる)と付けられ、大切に育てられました。若君が十三歳になられた年、神慮に偽りは無く、御台様が突然、病に倒れました。一門の人々は驚いて、様々手を尽くして看病しましたが、甲斐も無く、母上様は、三十一歳で亡くなられたのでした。
さて、その頃、都では不思議な事が起こって、人々を悩ませていました。夜な夜な、東山の方角から、日月の様に光り輝く車輪のような物体が飛んで来ては、宮中の周りを飛び廻るのです。高僧貴僧を集めて祈祷しますが、収まりません。御門の宣旨は、
「広く天下の武士の中から弓矢の名将を選び、その化け物を退治させよ。」
というものでした。公卿達が集まって人選の詮議をしましたが、いろいろな意見が出てまとまりませんでした。そのうちに、都の化け物を退治できる者をさがしているという噂が広がりました。守屋の判官はこれを聞くと、
「おお、これこそ春日明神の霊夢に出てきた参内の機会ぞ。ようし、急いで上洛して、都の化け物を退治し、弓矢の家の名を上げてやるぞ。」
と息を巻き、すぐに若君を連れて上洛するのでした。参内した守屋の判官が、
「大和の国の守護、守屋の判官です。化け物退治を、私に御命じ下さい。」
と奏聞すると、御門は
「おお、それは神妙なことだ。では、秋友よ。化け物退治を頼んだぞ。」
とお答えになりました。秋友は、名誉な役をいただけたと喜んで、早速に宿所に戻ると、化け物退治の準備をして、日の暮れるのを待つのでした。さて、日暮れ方になりますと、秋友は白装束に太刀を帯び、春日大明神からいただいた弓矢を持って、宮中の白砂にやって来ました。傍には弦王丸。家来は、一騎当千の矢口の四郎友定一人だけです。やがて、夜も更けて来ますと、例の化け物が現れました。虚空が、俄に光ったかと思うと、辺りの空気が振動します。秋友は、きっと目を付け、
「南無や春日の大明神」
と、三度唱えて祈ると、三人張りの弓を力一杯に引いて、ヤッとばかりに矢を放ちました。
矢がはったとばかりに化け物に命中すると、化け物は飛び去って行ったのでした。夜が明けると、秋友は急いで参内して、化け物退治の一部始終を、御門に奏聞しました。喜んだ御門は、今回の褒美として、山城の国の中に五百町歩を下されるのでした。そして更に、御門は、
「さて、秋友は、この頃妻を亡くしたと聞いておる。わしの第一の后である、更衣の前を御前の妻として取らせるぞ。」
と、后までも下されたのでした。大変喜んだ秋友は、意気揚々と本国に帰りました。大和の国の御所侍達も我も我もと迎えに出て、悦びは限りもありません。全く、秋友の果報の絶大さは申し様もありません。
つづく
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