説経正本集(角川書店)第二「ほう蔵びく」天満八太夫正本。延宝天和年間。版元不明。阿弥陀如来の前世譚を説経らしく語る。
ほう蔵びく ①
さてもその後、三世十方の出世の本願は、一切衆生の利益(りやく)のためです。
特に、濁世末代の男女まで、容易く仏果を得ようとするならば、「弥陀」の光明を置い
て外にはありません。
さて、その昔、唐天竺の西上国の主は、月生転輪聖王(がっしょうてんりんじょうおう)
と言う、大変目出度い帝(みかど)がいらっしゃいました。宝石の散りばめられた宮殿
が甍(いらか)を並べ、黄金の楼門も鮮やかで、錦の御帳(みちょう)を張り巡らし、
地面には瑪瑙を敷き詰め、道は瑠璃でできていたのでございます。四季の御殿の数々は、
言うまでもございませんでした。お后様は「ちょうせき夫人」と言い、千丈(せんじょ
う)太子という、容顔も整い慈悲の心を持った一人息子がおりました。人々は、この王
子が、次の賢王聖君になることを心から願っていました。
千丈太子が十六歳になった頃のことです。太子の后候補に、東上国の姫宮「あじゅく
夫人」という方が話題になりました。十四歳にして三十二相八十種好を具えた大変な
美人であるという話しを聞き、太子は、まだ見ぬ恋に落ちました。太子はこう思いまし
た。
「恋しいと思う姫宮を迎え取ることは、簡単だが、遙かの道のりでもあり、又姫の心も
測り知れない。明日の命さえ定めの無いこの身であるから、どうせなら、東上国へ一人
で行き、その面影を一目でも見ることが出来れば、ここで物思いをしているよりはましだ。」
と、恋路の闇に思い詰めると、綺麗な服を脱ぎ捨てて、墨衣に召し替え、寒竹の横笛だ
けを腰に差し、夜半に出奔してしまったのでした。
山々里々を旅すこと三年と三ヶ月。ようやく千丈太子は、東上国へと辿り着いたのでした。
しかし、勿論知り合いも無く、何処に泊まるあてもありませんでしたので、とある人家
に立ち寄って一夜の宿を乞いました。親切な夫婦がもてなしてくれましたので、故郷の
ことを思い出して、笛を吹きました。その澄んだ音に感心した夫婦は、
「さてもさても、この国においては、そのような素晴らしい笛の音を聞いたことが無い。
恐らくは、由緒ある方とお見受けいたしましたが、どちらからいらした方ですか。」
と、尋ねました。太子は名乗らないでおこうと思っていましたが、沢山の親切を受けたことでもあり、
「それがしは、西上国の主、転輪聖王の一子、千丈と申します。実は、この国の善信王
の姫宮である「あじゅく夫人」の事を聞き及び、見ぬ恋に憧れて、これまで遙々来たのです。」
と、打ち萎れて物語りしたのでした。これを聞いた夫婦は、
「そうでしたか、幸いなことに、我々の娘、梅花(ばいか)は、姫宮のお側に宮仕えし
ております。御仲立ちを頼みましょう。殊に今夜は、八月の十五夜で、月の管弦を夜中
まで行っておりますよ。御太子も女の姿をして忍び入るのはどうでしょう。良い折を見
つけて、姫君に会わせてあげましょう。さあ、早く支度をしなさい。」
と、大変頼もしいことを言うのでした。
さて、月見の御殿には、多くの女房達が集まって月見の管弦を行っていましたが、や
がて夜も更けて散会となりました。梅花は、この折りが丁度良いと、太子を妻戸の中へ
と押し入れると、自分の局へと戻りました。とうとう姫宮の寝所に近づいた太子は嬉し
くて仕方ありません。寝所の障子をほとほとと叩いてみると、中から姫君の声がしました。
「誰ですか。妻戸の脇で音がするのは不思議ですね。」
恋い焦がれた姫宮の声です。太子は、思いの丈をぶつけました。
「いや、怪しい者では御座りません。それがしは、西上国の主、千丈太子と申す者。
姫宮の御事を風の便りに聞き、まだ見ぬ恋に憧れて、遙々ここまでやってきました。」
姫宮はこれを聞いて、
「そのようなことを言われては、心も乱れますが、父の目を盗んで、あなたと仲良くし
たのなら、不孝の罪となってしまいます。私ひとりの思いでは、どうにも出来ない身の
上ですから、ごめんなさい。」
と、言うと布団を被って隠れてしまいました。太子はいよいよ憧れて、
「そのような恨めしいことを言わないでください。考えても見てください。もしこれ
で引き下がって帰るにしても、この御殿を出る時に、番人どもに見つかって殺されるに
決まっている。どうしても帰れと言うのなら、人手に掛かって死ぬよりは、ここで腹掻
き切って自害して、あなたを恨んで化けて出ます。その時、思い知らせてやります。」
と、剣に手を掛けた時、さっと障子が開いて、姫宮が太子の袂に縋り付きました。
「のう、おやめください。太子様。さぞお怒りとは思いますが、あなたの心を試すため、
そのように言ったのです。さあ今は、何事も打ち解けて、中へお入りください。」
と、二人は互いに手と手を取り合って御殿へと入って行ったのでした。梅花の取りなし
で、既に銚子、土器も準備されており、それから御酒宴となったのでした。千秋万歳(せ
んしゅうばんぜい)の御喜びは、目出度いとも中々、申すばかりはありません。
つづく
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