日光山を開山した勝道上人は「四本龍寺」と「本宮」を建てましたが、その位置関係を示した資料はこの世に存在しません。
現在の本宮は東照宮が出来る時に徳川秀忠によって移動させられて、二荒山神社の別宮となっています。
そして明治維新で神仏習合から神仏分離となったときに、「四本龍寺」は輪王寺のものになりました。
現在の四本龍寺の跡地は大猷院となっています。
つまり「本宮」は二荒山神社のもので、「四本龍寺」は輪王寺のものとなる以上、両者の関係は途切れているのです。
二荒山神社に言わせれば、本宮は小さな祠であり、二荒山神社発祥の地であるとされています。
本宮は男体山を崇めた場所であり男体山が見える場所のはずですが、現在の二荒山神社からは男体山が見えません。
本宮があった場所を探して仏岩の上に登りました。
この画像を撮影したこの場所から男体山が見えます。
ここは東照宮ができる前の勝道上人の墓地であり、日光山の聖地です。
が、この場所は現在存在する記録には一切ありません。
したがって「四本龍寺」と「本宮」の位置関係は、これが本邦初公開となるはずです。
現在の本宮は東照宮が出来る時に徳川秀忠によって移動させられて、二荒山神社の別宮となっています。
そして明治維新で神仏習合から神仏分離となったときに、「四本龍寺」は輪王寺のものになりました。
現在の四本龍寺の跡地は大猷院となっています。
つまり「本宮」は二荒山神社のもので、「四本龍寺」は輪王寺のものとなる以上、両者の関係は途切れているのです。
二荒山神社に言わせれば、本宮は小さな祠であり、二荒山神社発祥の地であるとされています。
本宮は男体山を崇めた場所であり男体山が見える場所のはずですが、現在の二荒山神社からは男体山が見えません。
本宮があった場所を探して仏岩の上に登りました。
この画像を撮影したこの場所から男体山が見えます。
ここは東照宮ができる前の勝道上人の墓地であり、日光山の聖地です。
が、この場所は現在存在する記録には一切ありません。
したがって「四本龍寺」と「本宮」の位置関係は、これが本邦初公開となるはずです。