昨日の大川小津波訴訟の判決についての記事が新聞に載っていた。
東日本大震災の津波で多くの児童命が失われた宮城県石巻市大川小学校。
学校側は津波襲来を予見できた上、
助かった可能性が高い裏山を避難先に選ばなかった過失があると認定した。
1000年に一度の大地震。
想定外のことが多く発生したことは当たり前のことだが、
あの混乱の中で果たして冷静な判断ができる人がいただろうか?
俺も海に面した会社で働いていて地震に遭遇した。
地震の影響で停電が発生しテレビからの情報は得られない。
大津波が襲来する警報は車のラジオから聞いた。
10m以上の大津波が押し寄せる。
しかし、
会社の敷地は20m以上の高台にあるから大丈夫という意識があった。
そこへ津波が襲来した。
想定外のことが発生してしまったのである。
大川小学校は海から約4km離れた津波浸水想定区域外だった。
ところが大川小学校は北上川の堤防からすぐ近くに建っていたのが災いした。
震災後は被災地支援も考えて、
毎年暮れは友人たちと津波被災地へ行って忘年会をやっていた。
南相馬もそうだが津波被災地はどこも多くの悲惨な状況にあった。
そんな中でも大川小学校で多くの子供たちが被災したことは悲惨過ぎてなかなか当地を訪れることができないでいた。
昨年の暮れの忘年会は津波被災地での開催はたぶん最後。
ということで、
大川小学校を訪れてきました。
あまりにも悲惨過ぎてブログに書けないでいたけどここに記載したいと思います。
この場所は5年7ヶ月前のまま。
あの日この校庭に子供たちが集まってたんですね。
校舎の裏側には北上川の堤防があります。
小学校へ向かうには北上川を渡る大橋のたもとから下って行きます。
津波襲来の映像でこの橋が冠水し堤防から水が溢れて行く光景をよく見ました。
その溢れた水が大川小学校を襲ったんですね。
その光景を思い出しながらここに立つと恐怖が感じられます。
新聞等では裏山と行っていた校舎の前には山があります。
津波到達地点の表示がされていました。
すぐ目の前に高い山があるのになぜ校庭にとどまっていたのか?
なぜ大川小より高いが危険な北上川の堤防付近に移動したのか?
現地にいた先生方はまさか津波が北上川を遡ってくるとは思っていなかったのかもしれない。
「想定外」
どうやったら命を守れるか
あの悲劇から学ぶことが多くなった。
あの経験を活かしてあらゆることを想定した訓練や知識が必要だと思う。
「想定外」を言い訳にしないだけの備えが必要ですね。
亡くなられた多くの子供たちのご冥福をお祈り申し上げますm(__)m