村爺のなんでもいいべ

南相馬市の馬事公苑を中心に活動しているディスクゴルフの話題や南相馬の出来事や思いついたことを書いていきます。

波立海岸の鳥居が損壊した

2015年10月11日 18時15分06秒 | 震災・放射能

今日の新聞にいわき市久ノ浜町の波立海岸弁天島にある鳥居が損壊した記事が載っていた。

台風23号による高波と強風が原因とみられると言っているが、

東日本大震災の大津波にも耐え復興の象徴的にもなっていただけに残念。

波立海岸は日の出の名所で天気のいい日は写真を撮る人がいつもいる。

俺もいわきへ行くときに早朝に出発して日の出を波立海岸で見ると言うことをしてきたんだけど、

やっぱりあの弁天島に鳥居が無いとねぇ~(*_*)

以前は弁天島へ渡ることができたが、

東日本大震災の大津波で橋の一部が損壊したのでいまだに渡れない。

 弁天島の鳥居もそうだけど以前のように復旧していただけないでしょうかね。


注意報のフルコースには参った!!

2015年09月18日 10時07分57秒 | 震災・放射能

今日の深夜勤務中の気象注意報は、

大雨・雷・強風・波浪・洪水・濃霧のフルコース。

強い雨が降ったり、強い風が吹いたりするとトラブルが発生するんだよなぁ~。

深夜の大雨の中の作業は本当に疲れます。

どんな悪条件の中でも対策を取らなければならないからひどいですね。

朝の太陽には「あれはなんだったんだよぉ~」気分になりますよ!!

それにぷらす津波注意報。

「ただちに沿岸部から離れてください!!」

日本時間で午前7時54分頃に南米チリ沖でマグニチュード8.3の地震発生。

それに伴う津波が今日の早朝に日本に到達するということだったが。

南相馬市では午前3時15分沿岸部5,043人に避難勧告を発令し避難所を開設した。

沿岸部で仕事をしていた俺たちはどうすんだよ!!

注意報が警報に変わったら対策を取りましょう!!

だったが、

到達する最大波の予想が1mというのでちょっと油断している気がする。

過去には宮城県や岩手県の沿岸部でチリ地震の津波により何回も被災している。

今現在で潮位の変化は約20cm。

長い距離を旅してくる津波は到達がいつになるかわからない。

第一波が20cmだったからと言って安心してはいけないと思う。

いつもはにぎやかに行われている沿岸部の防潮堤工事も今日は中止されているようでした。

事が起きてからでは遅すぎる。

やっぱり注意報が出ているときは安易に考えないで避難しているべきですね。

被害が無い事を祈りたいです。


伝承鎮魂祈念館

2015年07月20日 09時49分10秒 | 震災・放射能

夏と言えば海水浴!?

太平洋に面した福島県浜通りにも多くの海水浴場があったんだが、

震災以降に再開したのはいわき市の海水浴場だけかな?

先日、夏になると多くの海水浴客でにぎわっていた相馬市の「原釜尾浜海水浴場」に行ってみた。

津波で壊滅的な被害を受けたところでなかなか復興が進んでいるとは言えない状況ですが、

現在防潮堤の建設が進められていました。

海水浴場の一角に新しい建物ができている。

相馬市が津波の被災を後世に伝えようと建設した「伝承鎮魂紀念館」

せっかくなので拝見させていただきました。

内部は、パネルと映像で震災前後の様子を伝えるもの。

2011年3月12日の福島民報の一面

震災当時は福島民報を購読していたがこの新聞は届かないで終わったと思う。

その後は原発事故で避難を余儀なくされたので新聞が届くようになったのは1ヶ月後くらいかな?

同じく震災翌日の福島民友の一面

震災から4年4ヶ月も経過するとあの時の光景は頭から離れつつあるような気がする。

時々こういう物を見てあの時感じた教訓を思い出さないとダメですね。

昭和時代の原釜尾浜海水浴場は大賑わい。

あの当時は暑い夏はみんな海水浴場で涼んでいたんですよ。

海水浴場が灯台の下の方まで伸びていたんですね。

現在では魚市場や港が建設されて環境が変わってます。

暑い日なんだけどやはり人はまばらにしかいませんね。

松川浦と言うと夏は潮干狩り。

俺も娘たちをつれて何度か行ったけど多くの人達でにぎわっていましたねぇ~!!

あの潮干狩りの橋も海苔の養殖いかだも今はまだ見られません。

でも、道路の嵩上げ工事が終了して街並みもきれいになってきて観光客も増えてきたようでした。

持ち主がもういなくなってしまったのか?

今でも思い出の品は多く残されています。

1000年に一度の巨大地震

それがもたらしたものははるかに大きな状況変化だった。

震災と原発事故により大きく生活が変わってしまったがそれも運命かもしれない。

自然が牙をむいて人間に襲い掛かって来たとき、人間はどう対応して身を守れば良いのか?

忘れた頃にやってくるではなくて、

忘れないように繰り返し思い出すことが必要だと考えさせられました。


ついに所在不明!!

2015年07月10日 18時26分33秒 | 震災・放射能

先日発送した書類の内一つが戻されてきた。

原発事故により避難を余儀なくされ仮設住宅住まいと聞いたが現住所がわからない。

仕方なく旧警戒区域内の自宅の住所で発送していたのだが昨年までは届いていたようだ。

今年に入ってから届かなくなってしまった。

昨年まで住んでいた仮設住宅が変わってしまったのか?

住宅は新築しないと聞いていたが、

仮設住宅からどこかへ移ってしまったんだろうか?

書類を届けて頂いているのに住所を教えないとは困った人だがどうしようもない。

こんな状況の人が多いんだろうが、郵便を配達する人も大変だと思う。

と言うよりも、

関係している人には連絡先くらい知らせておくことが社会の常識と思うんだけどね!!


想定外では無かった!!

2015年06月25日 10時25分48秒 | 震災・放射能

今日の新聞にこんな記事が載っていた。

第一原発 津波浸水国が予想図

1999年に旧国土庁が福島沖で巨大地震が発生し、

東京電力福島第一原発を高さ8mの津波が襲った場合、

1号~4号機の建屋が浸水するという予想図を作成していた。

国が津波防災対策を検討する基礎資料してい作ったと言うが、

東京電力や県が無視したため、

原発事故を防ぐための対策強化に生かされなかったことになる。

震災前に作られた資料が次々に出てきている。

想定外と言い続けて罰を逃れ続けてきたが、

もはや「想定外」という言葉はつかえないところまで来ているのでは?

津波浸水により電源が喪失してしまったのが事故の主な原因。

この浸水予想図を活かして非常用の電源を移動していれば大事には至らなかったはず。

国の津波試算を把握していながら、事故を防ぐ対策を取らずに、

その津波予想をつぶそうとして動いてきた東京電力の罪は大ではないのか!!


撤去される!!

2015年03月12日 19時41分21秒 | 震災・放射能

帰還困難区域の双葉町体育館脇の道路に設置されている原発推進標語。

「原子力明るい未来のエネルギー」

最近ではここを通るたびにムカつく標語だったが・・・・!!

撤去されることになったらしい。

老朽化が進んでいる上、避難が続き安全点検が出来ない事が撤去の理由と言うが?

やっぱり双葉町としても原発を推進してきた歴史を早く消したいんじゃないのかな?

これの他に、

「原子力豊かな社会とまちづくり」

「原子力郷土発展豊かな未来」

の看板がありそれも撤去されるらしい。

原発で豊かになっていた町らしい標語ですね。

標語を作った本人は、原発を考えるきっかけとして撤去反対と言っている。

やっぱり原発を推進してきた町の歴史や事故を記憶に残すために残してほしいですね。


あれから4年

2015年03月11日 18時46分59秒 | 震災・放射能

激しい揺れに見舞われ、その後に発生した津波で甚大な被害をもたらした東日本大震災。

あの日から今日で丸4年を迎えた。

今日も会社で朝を迎えた。

昨夜からの強風は収まってきたが雪が吹き付ける寒さが厳しい朝となった。

あの日も津波でぬれた身体に雪が吹き付けて寒さに震えていたのを思い出した。

あの経験をしたみんなにとっても今日は特別の日。

決して忘れることのない、忘れてはいけない特別な日なんです。

東日本大震災で被災し亡くなられた皆様のご冥福をお祈り申し上げます。

会社の帰りは友人の自宅跡に立つ慰霊碑にお参りした。

友人の父親はいまだに行方不明。

自宅があった跡に父親が大切にしていた庭石が置かれそこに塔婆と花が手向けられていた。

友人も今年、別な所に住宅を新築し、この地域と決別した。

昨年の今頃はまだ津波で壊れた防波堤は手つかずのままだったが、

その後に大規模に工事が開始され今では状況が一変している。

一気に復興が進んでいるような気にさせられる。

昨年まで生きていたケヤキの木はどうやら枯れてしまったらしい。

大津波から生き延びたケヤキとモミの木。

仲間が1本欠けようとしている。

さびしい気もするが仕方のない事なんだろう。

枯れたケヤキの木の下には水仙が花を咲かせていた。

今日の朝は厳しい寒さとなったがここにも春は確実に来ている。

巨大地震と大津波、東京電力第一原発事故の複合災害はいまだに我々を苦しめている。

一方ではふるさとの再生に向けた動きは遅れながらも着実に進んでいる。

福島県民は巨大災害に屈することなく一人一人が懸命に力を合わせ歩みを進めているからだろう。

ふるさとを震災前より輝くものにするためには、

みんなで手を携え肩を組んで前向きに取り組んで行かなければならないと思う。

そう、前向きに進んで行くしかない!!

あれから4年。

南相馬市ディスクゴルフ協会も馬事公苑コースが再開しやっと復興のスタートラインに着いたばかり。

これから先、難関が山積みしている。

それをみんなの力でクリアしていき、来年には復興を遂げた姿をお見せできればと思う。

頑張らねば!!


I love ふくしま

2015年03月09日 08時56分09秒 | 震災・放射能

明後日に東日本大震災から4年を迎える。

2011年3月11日 14:46に発生した東日本大震災。

会社で仕事中に大きな揺れに見舞われ、その後に発生した津波で被災したが建物の中にいて助かった。

車が流され、薄暗くなった山道を雪がぱらつく中徒歩で帰宅した。

その後に発生した福島第一原発事故で避難を余儀なくされ、郡山、埼玉県と避難を繰り返し3月28日?に帰宅した。

人が少なくなっり物資を確保するのも難しい中、

毎日「どうしようか・・・?」と考え続ける日々が続いていた。

その頃にテレビから流れてきた福島を応援する歌。

この歌を聞くたびに涙が流れるような気分になったっけ。

この歌にずいぶん励まされたような気がする。

福島県出身のミュージシャン4人で結成する「猪苗代湖ズ」

そのグループがふくしまを応援するために作った曲「I love you & I need you ふくしま」

その曲をそれぞれに故郷をもつ47県人が歌っているこの映像は忘れられませんね。

「I love you & I need you ふくしま」猪苗代湖ズ


今日で20年

2015年01月17日 10時15分08秒 | 震災・放射能

阪神大震災から今日で20年を迎えた。

地震が発生した17日午前5時46分は今日と同じように会社で仕事をしていた。

会社から帰ってきてテレビで見た光景はいまだに思い出されます。

当時は消防団に所属していた俺にとっては、テレビで見る災害現場を見ていたたまれない気持ちでしたが、

遠く離れた福島県にいてはどうしようもないと思っていました。

それが、東日本大震災では全国各地から多くの人が駆けつけてわれわれを助けて支えてくれました。

思うだけではなく自分でも何かできないか、そしてそれを実行することなんですよね。

今日は地震発生の時間付近で仕事をしながら南を向いて手を合わせて頂きました。

震災から20年で孤独死が1000人を超えたと言います。

東日本大震災から間もなく4年。

仮設住宅や災害復興住宅での独り暮らしが多く孤独死される方も多くなってきました。

東日本大震災と東京電力第一原子力発電所の事故に見舞われた福島県浜通りの復興は果たしてどれだけの期間がかかるのだろうか?

とりあえずは自分でできる復興活動をあきらめないで続けなければなりませんね。

頑張りましょう!!

You Tubeに東日本大震災の翌日に撮影された南相馬市の津波被災地の映像が公開されていました。

当日は薄暗い中、道路が寸断されたため山の中を歩いて帰ってきて津波の光景を見ることはなかったが、

翌日、会社へ状況確認のため行った時見た光景がそのまま映像で残っていました。

決して忘れることが出来ない光景。

そして、忘れてはいけない光景なんだと思います。

大きな被害を受けた南相馬市 [震災翌日]