還暦を前にした、青森行き当たりばったり車中泊の旅Part 4。
Part 1は、 こちら
Part 2は、 こちら
Part 3は、 こちら
釜臥山の展望台で迎えた朝は、小雨降る霧の中で展望ゼロ。
朝食を食べながらどこへ行くのか思案した結果、
そういえばここまでの道中に見た「北の防人大湊」が気になったので行ってみることにした。
海上自衛隊大湊基地があったんですよ。
青森県以北の周辺海域を警備している海上自衛隊大湊地方隊だそうです。
なるほど「北の防人」ですね。
案内板に従っていくと「海望館」という展望台があり周辺は公園になってました。
10時開館で開館まで30分以上あるので周辺を散策。
安渡館(あんどかん)
実在した海軍大湊要港部庁舎をイメージして建てられた観光交流施設。
大湊海自カレーや大湊海軍コロッケなどが名物だそうです。
時間が早いので断念し資料館に行ってみます。
北洋館
大正5年(1916年)に海軍士官の社交場として建てられた石造りの洋館だそうです。
旧海軍や海上自衛隊の資料が展示されています。
こちらはすでに開館してました。
入場無料で開館時間は9時~16時だそうです。
記帳してから見学します。
前日に一人訪れているみたいで、見学する人は少ないのかな?
貸切でのんびり見学できます。
写真もOK
旧海軍時代からの貴重な資料が展示されていました。
日本の北の海の守りを担ってきた歴史がわかります。
特攻隊や真珠湾攻撃に関するもの等豊富な資料です。
展示物が豊富過ぎて興味深いものを見ていると時間が過ぎるのが早い。
旧海軍時代は、階級によってこんなにも差があったのかと考えさせられます。
戦争によって失われた多くの命。
国を守るためと言っても、
国の考えでこんなにも簡単に人が犠牲にさせられてきた時代があったんですね。
現在も続く北や朝鮮半島からの脅威。
それをこの海上自衛隊大湊基地や航空自衛隊三沢基地が守ってくれているんですね。
過去から現在まで北を守ってきた歴史を勉強させて頂きました。
行ってみる価値はありますよ!!
次はいよいよ下北半島から離れて行きます。
むつ市にある「下北名産センター」でお土産を物色。
むつ市でもねぶた祭があるみたいです。
ここでは夕食のために海軍カレーと海軍コロッケを購入。
下北半島の陸奥湾川を南下。
道の駅よこはま「菜の花プラザ」に寄り道。
横浜町は菜の花が有名みたいですね。
菜の花やほたての商品が豊富です。
そういえば、
以前、青森に来たときにほたてが名産の直売所で、ほたてご膳を食べようとしたら、
悪天候でほたて漁ができずにほたてご膳が販売中止になり、食べられなかったのを思い出した。
昼食は、「ほたてご膳」に決定して「ほたての町 平内町」を目指します。
無料の高速道路「下北半島縦貫道」が伸びているので早い。
道の駅よこはまから約1時間で到着。
平内町は養殖ほたて発祥の地だそうです。
ほたての町平内町にある「ほたて広場」
ほたてを見て、学んで、食べられる、資料館や直売所があり、食堂ではほたて料理が味わえます。
以前来たときには無かったレストランができてました。
平内町ご当地レストラン「ホタテ一番」
平内町の名産「ホタテ」にとことんこだわった創作メニューが味わえる
全国的にも珍しいホタテ料理専門レストランだそうです。
ほたてを使った美味しそうな料理がたくさん。
以前食べられなかった「平内ホタテご膳1,800円」を食べようと思ってきたんだけど、
なぜか、
ホタテ一番のプレミアム№1メニューの文字にひかれるんだよね。
結局
活ホタテの刺身付活ホタテの刺身丼2,100円にしちゃいました。
3種類の丼ぶりが味わえるみたいです。
刺身だけで活ホタテを6個使用して全部で10個位使っているとか?
丼ぶりではなく陶器のホタテ貝
の器に盛られてます。
刺身は、
活ホタテ、あぶりホタテ、レモンはさみホタテの3種類。
それぞれに違ったつけ汁で食べます。
粒の大きいホタテは食べごたえがあって美味しい。
ビールが飲みたい!!
丼ものも、
中華風
洋風
和風
の3種類。
それぞれの味が楽しめて美味しいです。
ホタテのすまし汁。
大満足のホタテつくしでした。
直売所でほたてを購入すると1kg(約6個)800円だから、
ほたてを10個以上使ってのこの金額はリーズナブルだよね。
次は「平内ホタテご膳」を食べてみたい!!
昼食も満足したことだし、次は、近くの浅虫温泉に入ります。
道の駅 浅虫温泉「ゆ~さ浅虫」
1Fは物産品の販売コーナー、
3Fにはレストランがあります。
温泉は5Fにあり、陸奥湾を一望できる展望風呂になってます。
入浴料350円
青森県の温泉は安いよねぇ~!!
でもシャンプーや石鹸はついてません。
泉質は、
カルシウム・ナトリウム-硫酸塩・塩化物泉
久しぶりに晴れてきました。
光り輝く陸奥湾がきれいですね。
湯上りはコーヒー牛乳を頂きます。
現在の時間15:20。
ここの道路向かいの広い駐車場で宿泊を考えたけど、
まだ時間も早いし夕食の食材も調達していないので、
青森市内の方へ進みます。
道路標識に「雪中行軍遭難資料館」を発見。
以前、本で読んだことがあったので行ってみたかったところの一つ。
今宵は八甲田山に泊まることにして行ってみました。
青森県八甲田山雪中行軍遭難資料館
観覧料は260円。
雪中行軍遭難記念碑像「後藤伍長像」が出迎えます。
明治35年、緊迫する日露関係を背景に「青森歩兵第五連隊」は、
雪中八戸平野に侵入した敵を想定し、
青森から八甲田山を越えて三本木へ進軍できるか否かの調査のため雪中行軍を計画した。
計画では、
青森から田代までの一泊行軍とし、
田代に達することができない場合を考慮し雪中露営の準備もされていた。
しかし、
悪天候に阻まれ、総勢210名の隊員のうち199名の犠牲者を出す惨劇となった。
総勢210名で田代へ向け行進を開始するが、傾斜がきつくなると運搬隊のソリ隊の運行が困難になる。
小休止を続けながら行進を続けたか天候が急変。
運搬隊が遅れたため2小隊に応援を命じ、15名の設営隊を編成し先へ向かわせたが、
設営隊は猛吹雪のために道に迷い、いつの間にか隊列の最後尾に付き大混乱に陥る。
夜の9時にやむなく露営を決意。
雪洞を掘った中に身を寄せ合いはげまし合ったという。
苦労して運搬した食料や燃料は役に立たず。
マイナス20℃を下回った気温の中、空腹、睡魔、寒気と猛吹雪が容赦なく攻め。
その後の判断が多くの犠牲者を出す結果となった。
なぜこんなにも悲惨な結果をもたらしたのか?
当時の装備や食料などを考えると遭難して当たり前と考えてしまう。
参加した隊員達も酷寒の雪中を経験したことが無い人ばかり。
計画もずさんなものだった。
同時期に雪中行軍に成功した別隊と比較しなから、
悲惨な結果を出した計画から全行程、捜索隊の様子や生存者のその後まで紹介されている。
なぜ、世界でも類を見ない未曾有の大惨事を起こしてしまったのか、
それを反省し、考え、後世に残していくのがこの施設だそうです。
隣接して墓地がありました。
明治36年に創設され、正面には下士官10名の墓標、両側に189名の墓標が整然と並んでます。
当時生存していた11名の墓碑もあります。
亡くなってからも階級によって差があるのが複雑な気持ちにさせられました。
近くのスーパーで夕食を調達して八甲田山に向かいます。
ここまでの道のりを行軍してきたんですね。
車ではわずか数10分だけど雪中の傾斜がきつい中だとどれだけ大変な労力を要したことか。
坂を登ったところに雪中行軍遭難記念碑があります。
薄暗くなりかけの坂を登るのは勇気が必要かも?
熊が出ないことを祈る。
坂を登りきった馬立場という開けた地に像が立ってました。
後藤伍長の銅像は明治37年に当時の陸軍大臣等が発起人となり、
全国現役将校の拠金により建てられた「歩兵第五連隊第二大隊遭難記念碑」だそうです。
裏には遭難者210名の姓名が刻まれています。
後藤伍長は帰還したかった青森市内の方を向いています。
八甲田山ロープウェーの駐車場で宿泊して、
翌日ロープウェーに乗り八甲田山を散策しようと思ったが、
予想外に全然展望が無い山の中なので見晴らしの良いところへ移動。
黒石市方面へ向っていくと見晴らしの良い駐車場を発見。
城ヶ倉大橋という深い渓谷にかかった橋が見事です。
前方には岩木山。
トイレもきれいなので今宵の宿はここに決定しました。
夕日を見ながらと思ったが雲に残念ながら阻まれてしまいました。
今宵の夕食。
青森産イカ刺しと海軍コロッケで一杯。
ホタテの刺身も欲しかったよねぇ~。
青森の旅3日目はどうするか考えながら就寝。
翌日は雲海でスタート。
八甲田山を散策と思ったけど、日本海側にも行きたいので先へ進むことにしました。
旅の3日目はどうなったのか?
次に続きます。