村爺のなんでもいいべ

南相馬市の馬事公苑を中心に活動しているディスクゴルフの話題や南相馬の出来事や思いついたことを書いていきます。

1年9ヶ月

2012年12月11日 17時53分26秒 | 震災・放射能

3.11から1年9ヶ月を迎えた。

震災と原発事故はまだまだ終わっていない。福島県は震災と津波の被害にあった直後に東京電力福島第一原発の事故により強制的に避難をさせられてしまった。当初は身体が丈夫でない人、寝たきりの人など避難のために体調悪化で亡くなる方が多かったが、現在では生活環境の変化や将来の不安、二重三重生活による疲労などで体調の悪化や過労、自殺などで亡くなる方がいまだに後を絶たない。

南相馬市では先月まで震災関連で亡くなられた方が336人だったが、一か月後には40人増の376人になってしまった。震災により亡くなられた方と合わせると1012人と1000人を超えてしまったのである。

「警戒区域」が解除されてもインフラ整備や除染が進まず、自宅へ戻れるのは何年先になるかわからない。この過酷な生活環境がまだまだ続いていくのである。農業関係も退廃の一途をたどっている。あの荒れ果てた田畑の姿を見て将来を悲観し自ら命を絶たれた方もいる。

放射性物質の中間貯蔵施設ができれば一気に除染が進むはずである。建設予定地の双葉地方町村長会長の双葉町長は会長の辞任を強いられた。いまだに中間貯蔵施設の建設に反対の意思を示している。原発立地地域で原発の町としてこれまで優遇されてきたのだから、他の被災地のために理解を示しても良いと個人的には思うのだが、自分の事しか考えられないみたいですね。

昨日、職場の部下が「妻が産気づいたので帰らしてください。」と言ってきた。妻と子供は茨城県の東海村に避難していて、単身南相馬市で働いているのである。自宅くも浪江町だったのでアパートに一人暮らしだ。「なんで休まなかったんだ!!」と言ったがいつ産気づくかわからない状態だったらしい。東海村までは3時間以上かかるだろう。高速まで山道を延々と走らなければならない。「気を付けて行けよ!!」と言ったが心配だった。でも、出産には間に合わなかったが無事に到着し子供と再会したと連絡してきたので安心しました。

南相馬市では若い子供のいる家族はいまだに他県への避難生活を送っている。そして夫が単身南相馬市へ働きに来ている家庭が多くあります。そして、その親たちは仮設や借り上げ住宅で生活している。二重三重の生活を送っている家庭が多くあるのだ。週末には避難先へ向かう車の列が山の方へ向かいます。週末しか家族と会えない生活が続いています。あの時から幸せな生活が一変してしまったのです。震災離婚も増えたと聞きます。

南相馬市の状況は、原町火発の復旧作業がある程度終了したことから、作業に従事する作業者が減ったので市内の宿泊先の混乱が解消されてきたようです。これから除染作業に従事する作業者が多くなりますが、仮設の宿泊施設の普及により市内のホテルや旅館の宿泊は以前のように落ち着いてくるだろうと言うことでした。

あの忌まわしい事故から1年9ヶ月。

南相馬市で生活する上では大変な状況はまだまだ続くが、少しずつ震災と津波の被害は復旧の兆しが見えてきています。除染さえ早く進めば人も戻ってくると思われます。

あと20日ほどで今年も終わってしまいます。1月には今年は復興できるはずと思いましたが望みはかないませんでした。来年こそはと期待したいものです。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿