一年前の今日、郡山から埼玉県のさいたまスーパーアリーナに避難しました。
17日と18日の早朝2時からガソリンを確保するために並びましたけど、2時に並んだ時点で先頭から約2km先、気温は-4℃と厳しい寒さ、ガソリンを節約するために寝袋にくるまりながら朝まで待っていました。幸いにも両日とも3000円分のガソリンを入れることができましたので助かりましたね。ガソリンを入れ終わったのは10:00でしたから8時間もかかったことになりますよ。
それから開いていたヨークベニマルで買い物、物資が乏しい中、野菜とかくだものが購入できたからよかったです。
叔母の家に帰り最後の昼食、近所の人が叔母の家に避難してきている人がいるのを知って炊き出しのおにぎりと飲み物を持ってきてくれました。自分たちも大変な状況なのに本当にありがたい事でした。
食事を終え、3日も風呂に入っていなかったので三春にある田園生活館さとの湯へ行きました。そこにはやはり大熊から避難してきた人たちが多く入浴していましたね。東電からの差し入れとしてパンや下着類が無料で配られていました。俺らもこれから移動するのに不安なのでパンを大量に頂きました。
入浴を終えさっぱりしたところで、「出発は明日にしたら」という叔母でしたが、あまり甘えてられないので出発を決断。叔母のところに別れを告げたのは16:00頃でした。
避難者は高速道路を使用できる情報が入ったので、郡山南ICへ、料金所では警察官が検問をしていた。警察官に免許書の提示を求められたが、避難の際どこに免許書を入れたのかわからなくなっていた。あわてて荷物をかき回しやっと探し当てたが免許書は違う車に乗っていた。でも何も言われないで「道路が傷んでいますから気を付けて行ってください」と言われた。なんて優しい警察官なんだろう!!
東北自動車道は被災地へ向かう救援車両が列をなして走っていた。上り方向へ向かう車は少なく原発避難者がほとんどのようでした。国道4号線は渋滞が続いていましたので、高速道路が使用できるのを知らない人が多かったんでしょうね。高速道路のガソリンスタンドでは給油が可能で3000円に限定されていましたが、2か所で満タンに給油することができました。サービスエリアでも食事が可能で夕食をとり、ATMで現金を確保できたので気持ち的にだいぶ楽になったような気がする。
埼玉県の岩槻ICで高速を降りた、料金は無料と言われたので助かりました。そこからナビの言うとおりに車を走らせ、さいたまスーパーアリーナに到着したのは22:00を過ぎていたような気がする。地下の駐車場に入っていくと係の人が待っていた。「お疲れ様でした」と言われた時には思わず涙がこぼれそうになった。
その時点で避難者はまだ300人程度でした。
受付を済ませて毛布を頂き自分たちがこれから生活する区域に案内された。通路でリノリュウムの上に段ボールをひき一人一枚の毛布で過ごさなければならないようでした。
でも暖房が利いていて暖かかったので背中の痛さを我慢すれば寝ることはできましたね。
そこから3月28日までの生活が始まりました。住所はさいたまスーパーアリーナ 2F 210が住所になってしまいました。
入浴は15分程度離れたところにある「大宮大成鉄道村」という健康センターに一日おきに通いました。それが唯一の息抜きでしたね。後は連日、本か新聞を読んで暮らす生活が続きました。
孫たちは徐々に慣れてきて、サッカー選手のサッカー教室に参加したりイベントに連日参加できるのでストレスが溜まらず助かりました。
食事も当初はおにぎりだけでしたが、弁当やパンそして炊き出しのトン汁など充実していました。本当に埼玉県やボランティアの皆さんには感謝です。
でも残念だったのは、双葉町の態度でした。
さいたまスーパーアリーナに避難した人は2500人程度で、そのうちの1800人は双葉町民でした。双葉町民とその他の避難者には差別みたいなことが多くありましたよね。議員の皆さんが慰問に訪れても「双葉の方ですか」と聞いていたっけ。「南相馬です」というとそっけなくかわされるようなことがよくありました。町長は毎日管内放送を使って「双葉町民の皆さん」とあいさつします。3分の1は双葉町民以外の人なんだから「福島県民の皆さん」だろ!! 「双葉町民の皆さん、今日はテレビで有名な○○さんが皆さんのために来てくれます。3Fのどこどこに集まってください。」みたいな双葉の事しか考えない行動ばかりでした。同じ福島県から避難してきた人たちは「双葉が誘致した原発で俺たちが被災しているんじゃないか」と、双葉町長のあいさつが始まると怒りをあらわにしていました。
俺もいまだにこの顔と声を聴くたびに怒りが込み上げてくる。
いろいろなことがありましたが、わずか10日間、支えていただいた多くのボランティアの皆様、埼玉県の職員の皆様には本当に感謝申し上げます。あの生活の光景はいまだに頭から離れません。
ディスクゴルフの多くの仲間も慰問に来ていただきました。本当にありがとうございました。
これまでの人生で初めての経験でしたが、これからの人生で再び経験することのないように祈るだけです。
震災前は双葉町の財政に困って原発の増設を要望していたんですからね。事故後は以前と変わらない補償を!!なんて虫のいい話を繰り返していたんだから信じられません。しかも町そのものが県外に避難していて町民の事も考えない。今でも中間貯蔵施設の設置問題で反対している姿を見ると本当にむかついてきますよ。
反対なんかする資格があるんでしょうかね?原発設置地域以外で被害を受けている人たちはみんなそう思ってますよ。