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うどんの研究
連載中
はなつきだご汁とは、八女の山村
で作られる<だご汁>の一種。一
つの鍋に鼻を突き合わすかのよう
にいろいろ入った<だご汁>で、
野菜入りの味噌汁に<いもだんご
>が入っているところがごちそう
である。普段は小麦粉をこねただ
けの<だご>が入るのだが、この
<さつまいもだんご>入りは、わ
りに暇なときに、時間をかけて作
る。農家にとって米は大切な収入
源であるため、家では米を節約し
て減らないように心がける。家で
とれた野菜ばかりの味噌汁やすま
し汁に、鼻が突き合うほど大きい
<さつまいもだんご>を入れるの
でこの名が生まれたのだと言う。
八女の山間部では、昔からどの家
庭でも、秋風の立つころから春ま
で必ず何度か食卓にのぼる。秋の
味覚をいっぱい煮込んだ香りに食
欲をそそられ、主食兼副食として
食べられた。
(次回に続く)
②いもまんじゅうの作り方2/2
●材料(約10ヶ分 ) | |
小麦粉(薄力粉) |
200g |
【 作り方 】
【料理のポイント】
【 栄養価( 1個分 )】
|
(次回に続く)
②いもまんじゅう(福岡県)1/2
筑後地域は、いもや小麦が豊富に
とれる。それらの収穫時期には必
ず作られた「いもまんじゅう」は
、腹持ちがよく、体がしんから温
まることもあり、冬には欠かせな
い一品だった。「砂糖が貴重な時
代ですから、いもの甘さをあんこ
の代わりに用いたものと思われま
す」と郷土料理に詳しい地元の料
理家は話す。材料は里芋がほとん
どだが、季節によってはじゃが芋
やさつま芋を使うこともある。い
もの種類によって中の味は違うが
、薄味のため塩をふって食べたり
、漬物をのせて食べることもある
。残ってさめたものは揚げたり、
焼き直して熱々を食べるとまた違
った味がする。農作業の合間に、
おやつに、主食(米)の代用食に
と活躍した。まだ、インスタント
食品もなく、しかも甘みにも不自
由していた時代の生活の知恵だろ
う。
(次回に続く)
①ふなやきの作り方 4/4
●材料(約5人分 ) | |
┌小麦粉(薄力粉) |
200g |
【 作り方 】
【料理のポイント】
【 栄養価( 1個分 )】
|
||||||||||||||||
(九州製粉協同組合) |
①ふなやき(福岡県)3/4
この地方の農村では、小麦粉はも
ちろん、黒砂糖のほかに砂糖も自
作でき、「ふなやき」はお金もか
からず簡単に作ることができる。
熱いうちに食べると砂糖が溶けて
おいしい。また、味噌をはさんで
食べることもあった。
近年は次第に材料が良くなり卵や
牛乳、ベーキングパウダー等が加
わり、ホットケーキに近づいてき
たが、皆に好まれる様いろいろと
アレンジされて受け継がれている。
(次回に続く)
①ふなやき(福岡県)2/4
もう一方は筑後川とともに生きて
きた漁師や舟人たちが、空腹を満
たすために、携帯した小麦粉を水
で溶き、七輪にかけた鍋に油を転
がし、黒砂糖を巻き込んで焼いて
食べたという素朴な食物で、この
舟の上で焼く即席料理が「ふなや
き」である・・・というものであ
る。
(次回に続く)
①ふなやき(福岡県)1/4
「ふなやき」という名前の由来に
は、二つの説がある。一つは親元
日記によるもので、慶長8年(16
03)冷泉家の和歌会には公家、武
家、連歌師が列席して、会が終わ
って麩焼(ふのやき)の茶子(ち
ゃのこ)すなわち茶請(ちゃうけ
)を食べたといういう記録がある
、「ふなやき」はこのふのやきか
ら転じた呼び名ではないだろうか
・・・というものである。
(次回に続く)
●製粉技術の移り変わり
▼ワットの発明が全てを変える
17世紀に入ると、フランスの
人たちが一度ひいた粉をふるい
にかけて、粗い部分を分け、も
う一度ひき直してまたふるいに
かけるという段階方式で、より
美味 しい小麦の粉を作る工夫を
しました。18世紀の中盤には、
蒸気を使った大きな機械による
製粉工場が建てられて、より大
量に、より美味しい小麦の粉が
作られました。 現代ではそれら
の機械がさらに発展した、「ロ
ーラーミル」という製粉機械が
発明されて、毎日たくさんの小
麦粉が作られています。
(次回に続く)
▼自然の力で new
時代が進みローマ時代になると
、大昔に比べて人々が小麦を食
べる量もどんどん増えていきま
した。そこで、小麦を粉にして
売ることを専門に職業とする人
たちが現れま した。彼らは、
奴隷や家畜を使って普通よりも
大きな石のうすで粉をひき、出
来た粉をみんなに売ったのです
。 その後、ギリシャの人々によ
って、水車を使った粉ひきの工
夫がされました。 ローマの人々
もこの水車による粉ひきをはじ
め、イギリスやオランダでは同
じ原理から風車を使った粉ひき
が行われるようになりました。
(次回に続く)
▼石でたたいて、
つぶして、挽いて
美味しいものを食べたいという
気持ちは、大昔に生きた人たち
も、現代に生きる私たちも変わ
ることはありません。美味しく
食べるためには、色々な工夫が
必要です。 大昔の人は、小麦を
平らな石の上にのせて、石でコ
ツコツ叩いたり、潰したり、す
って 粉にする工夫をしました。
その時使った道具は、世界中に
ある大昔の遺跡から発見されて
います。こうして粉にした小麦
に、水を加えてよく練り、火の
中に入れて熱く熱した石の上に
それをのせて、良く焼いて食べ
ていました。やがてさらに工夫
を重ねて、石で出来たうすを回
転させ小麦をすり、粉にする方
法が考え出されました。その後
、四千年という長い間、この方
法で小麦を粉にして食料とする
方法が続きました。
(次回に続く)
▼一万年以上前から
小麦は、人間が最初に食料とし
て育てた作物だと考えられてい
ます。その理由は、世界中にあ
る大昔の遺跡などから麦の穂や
粒などが発見されているからで
す。今から一万年以上も前から
、私たち人間は小麦を食べてい
たのです。
(次回に続く)
●日本人と小麦 2/2
キリスト教とともに
他にも、ポルトガルの宣教師と一
緒にやってきたカステラ、ボーロ
、ビスケットといったお菓子やパ
ンは、当時、幕府の禁止令にもか
かわらずこっそりと人々の間で作
られつづけ、今川焼きやたいやき
などと一緒に、私たちの大好きな
食べ物として受け継がれています。
(次回にルづく)
●日本人と小麦 1/2
むかし、むかし
私たちの住む日本では、今からお
よそ二千年ほど昔の弥生時代に、
小麦を食料として育てるようにな
りました。育てられた小麦は7世
紀ごろ中国から伝えられたうどん
、そうめん、きしめんなど の麺類
を作る材料として重宝され、室町
時代にはお坊さんの点心(今で言
うおやつ)として主に食べられて
いました。鎌倉時代には、今のお
饅頭にあたる食べ物も誕生して、
現代の日本では私たちの好みに合
う工夫をされた食べ物として、食
卓をにぎわせています。
(次回に続く)
●小麦粉の発見 2/2
そこで他のものより種が大きく、
そしてたくさん実のついている雑
草を探しだして、それを好んで食
べるようになりました。それが人
間と小麦との出会い。小麦はもと
もと単なる雑草の一種でしたが、
気候の変化と、その実の豊富さか
ら、私たちの大事な食料になって
いったのです。
(次回に続く)