ヤンマ探索記

トンボの観察記録です。

タイトルはヤンマですが、トンボなら何でも撮ります。
勿論、ヤンマが優先です。

昭和40年代前半の鉄道写真(76・中央西線電化の記録⑮)  

2016-01-02 | 昭和40年代の鉄道(中央線他)

多治見・中津川間   雪景色

瑞浪・釜戸・武並と続く。
釜戸から先、下り列車は11~13‰の勾配を進み、やがて20~25‰の急勾配に差し掛かって武並に到着する。

昭和43年1月15日、雪の成人の日、釜戸・武並間で撮影。
この日は恵那の先まで行っていたが、吹雪になったので撮影を諦めて武並まで下ってきた。
吹雪のなかを7キロ以上歩いていたが、元気なものである。12時半頃、雪が収まり、釜戸に向けて再スタートした。

キハ58系上り急行第2"しなの"、武並通過

1968.1 武並駅

釜戸・武並間5.4キロの複線化は腹付け線増で建設され、釜戸から3.0キロの大羽根信号所までは41年に完成していた。
同信号所は瑞浪市と恵那市の市境辺りにあり、この先武並までが急勾配になる。当時は複線化工事が進行中であった。

上り急行に続行する上り貨物の撮影は見送り、すでに複線のレールが敷設されていた線路脇を釜戸方向に急いだ。
25‰の勾配区間に到達して、13時前に来る下り旅客列車を待つ。長い直線の彼方から美しい白煙が見えてきた。
粉雪舞う中、ドラフト音が段々大きくなってD51がゆっくり坂を登ってきた。興奮の一時である。

D51牽引の下り長野行829レ 右は建設中の新線


左の木柱の下には「よい子はせんろにはいらない」の警告看板。のどかな時代であった。



武並で列車交換した上り塩尻発名古屋行840D 後方キハ58系2連に中津川で2両増結し先頭はキハ17


しばらく釜戸に向けて歩き20‰上り勾配の終点で下り貨物列車を待つ。下り急行がエンジン音高らかに登ってきた。

キハ58系下り急行第1"ちくま"


D51-265[中]牽引の上り臨時貨物6654レ この日は珍しく補機なし


下り急行の通過待ち、上り貨物との交換で約20分間停車していた下り貨物列車がいよいよ釜戸を発車する。
14時少し前、汽笛が聞こえてきた。やがて曲線の先から白煙が見えてD51が20‰勾配を登ってくる。
冷え込むなか震えながら待つのは辛いが、爆煙がすべてを忘れさせてくれた。

D51-279[中]牽引の下り貨物655レ


登りきる直前、安全弁が吹き上がった


D51の後補機が一段と素晴らしい煙を吐き全力で押してくる 左側は複線化に向けて整地されていた




ここから平坦区間になるが、すぐ先には25‰の上り勾配が待ち受ける。



興奮覚めやらぬなか再び釜戸に向けて歩き、大羽根信号所を越え複線区間まで来た。雪は止んだが、靴はびしょ濡れだ。
14時40分を過ぎて日が射し、下り旅客のD51がこの先の急勾配に備えて力行。光の中に美しい煙が上がった。

D51ー267[中]牽引の下り塩尻行831レ





1968.1.15 釜戸・武並

15時前、やっと釜戸に辿り着いた。朝から雪の中を歩いてきたが、この列車で帰ることなくまだ撮る元気があった。

D51-827[中]牽引の上り中津川発名古屋行628レ 西日を浴びて釜戸発車



1968.1.15 釜戸駅


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