昨日の朝日新聞夕刊(2009年6月19日)、
ふと見ると、一面に懐かしい写真があった。
記事は、 反逆の時を生きて [1] - わが娘の「二十歳の原点」。
写真は、「二十歳の原点」の高野悦子さん。
彼女は、今も二十歳。
チャーミングな面立ちは、変わらない。
かたや、あの頃二十歳だった者は還暦を迎えつつある。
あれから40年か、という思い。
懐かしい写真といっても、ワタシは彼女に会ったことはない。
ひょっとすると、どこかですれ違ったことがあったかも知れないけど、
ワタシが知るのは、死後、日記が「二十歳の原点」として出版されてから。
そして、本を手にすることはないが、数年に一度、ふと高野さんのことを考える。
記事の中に、関川夏央のコメントがあった。
ここではその内容を書かないけど、少し違う様な気がする。
彼女は葛藤した。それでいいように思う。
くだらない世を、くだらなく生きるよりは。
関川夏央は、のちに評論「1969年に二十歳であること-『二十歳の原点』の疼痛」を書いたという。
ワタシは読んでいない。
読もうとは思わない。
人には、それぞれの1969年がある。
しかし、時代の悪意は、表れ方は違えども、いつも同じ。
(こういう感じ方が、小説家なり評論家と、普通の人間との違いなんでしょうな。)
高野さんのお母さんは、ひな人形を飾っているという。
「おひな様をいつまでも出しておくと、お嫁にいけないといわれますが、もうお嫁に出すこともないので...」
とのこと。
いつまでも飾るとよい。
お嫁にゆくことはないが、悦子さんを忘れない者はいますから。
【蛇足】
「二十歳の原点」は、今春、カイゼンという出版社から新装版が出たという。
若い読者向けに註釈もつけたとのこと。例えば、フランスデモ など。
確かに、そうかもしれない。
ワタシの周囲でも、若い人は、例えば シュプレヒコール を知らない。
時代なんでしょうな。
記事によると、若い企画者(36歳)は、「あの頃の熱気、なぜか、僕にはよくわかりません」
とのこと。
別に、わからなくてもいいけど、
この人には、明治維新や、民権運動や、大正デモクラシーなどなど、
わからないんだろうな、と思う。
ふと見ると、一面に懐かしい写真があった。
記事は、 反逆の時を生きて [1] - わが娘の「二十歳の原点」。
写真は、「二十歳の原点」の高野悦子さん。
彼女は、今も二十歳。
チャーミングな面立ちは、変わらない。
かたや、あの頃二十歳だった者は還暦を迎えつつある。
あれから40年か、という思い。
懐かしい写真といっても、ワタシは彼女に会ったことはない。
ひょっとすると、どこかですれ違ったことがあったかも知れないけど、
ワタシが知るのは、死後、日記が「二十歳の原点」として出版されてから。
そして、本を手にすることはないが、数年に一度、ふと高野さんのことを考える。
記事の中に、関川夏央のコメントがあった。
ここではその内容を書かないけど、少し違う様な気がする。
彼女は葛藤した。それでいいように思う。
くだらない世を、くだらなく生きるよりは。
関川夏央は、のちに評論「1969年に二十歳であること-『二十歳の原点』の疼痛」を書いたという。
ワタシは読んでいない。
読もうとは思わない。
人には、それぞれの1969年がある。
しかし、時代の悪意は、表れ方は違えども、いつも同じ。
(こういう感じ方が、小説家なり評論家と、普通の人間との違いなんでしょうな。)
高野さんのお母さんは、ひな人形を飾っているという。
「おひな様をいつまでも出しておくと、お嫁にいけないといわれますが、もうお嫁に出すこともないので...」
とのこと。
いつまでも飾るとよい。
お嫁にゆくことはないが、悦子さんを忘れない者はいますから。
【蛇足】
「二十歳の原点」は、今春、カイゼンという出版社から新装版が出たという。
若い読者向けに註釈もつけたとのこと。例えば、フランスデモ など。
確かに、そうかもしれない。
ワタシの周囲でも、若い人は、例えば シュプレヒコール を知らない。
時代なんでしょうな。
記事によると、若い企画者(36歳)は、「あの頃の熱気、なぜか、僕にはよくわかりません」
とのこと。
別に、わからなくてもいいけど、
この人には、明治維新や、民権運動や、大正デモクラシーなどなど、
わからないんだろうな、と思う。
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