陋巷にさまよう (野を拓く 第2部)

プアなわが道とこの世を嗤笑するブログ

プアについて(つけたり)

2011-01-08 15:10:41 | Weblog
年始にあたり、改めてプアの話しをしている。
昨今は、次から次へと新しいプアが出現するので、ハナシは尽きないのだが、
今日の「つけたり」で連載ものはひとまずオワリにいたしましょう。

プアの一で、ムカシ「乞食」と言った人たち。
差別用語として、今は使われないそうだが、
しかし、そもそも今の日本に物乞いをする者はいなくなりましたなあ。
(托鉢僧は修行で物乞いではないが、偽の托鉢僧がいるそうですぞ。)
物乞いをしなくても、何らかの方法で生きられますからなあ。
身体が動けば。
とはいえ、詐欺でヒトを騙すことなんぞは論外で、
それらの者は、物乞よりもはるかに下の下、プアの中でも最下層の者でござります。
その種の者が増えているとは世も末でござりますなあ。

つまり、プアと言うても多種多様で、
まともなプアは、ごく一部の清貧プアだけなのでござります。
今は。
困りましたなあ。
ワタシは、この清貧プアがプアらしく生きられる世を作りたいのでござります。
だが、いかんせん、プアなのでその力がござりませぬ。

(注)清貧プアとは、字のとおり、清く正しく生きるプアでござります。
正統プアとも言うが、今の世ではプアの本流からほど遠く、陋巷の片隅でひっそりと住んでおりまする。
実は、ワタシもこの清貧プアを目指しているのでござります。
働ける身体を持ちながら人様に依存するプアは、清貧プアではござりませぬよ。
それは、単なる ぷーたろうプア ですぢゃ。
清貧プアは、人様に依存なんぞしませんのぢゃよ。
勿論のこと、国や自治体なんぞの支援なんぞ糞食らえでなのでござります。
そんな支援を受けるなら、命を絶つ方がマシでござります。
正統なプアは、プアを嘆きつつも、一方ではプアたるオノレが誇りなのでござります。

▼『心貧しき者は幸いなり、天国は彼らのものである』
というたお方がいますなあ。
どうも「心が貧しいことを自覚している者は」を指しているようだが、
しかし、厳しいことをおっしゃるものでござります。
ワタシの経験+想像では、この自覚者は多くないのでござりますよ。
さだめし、天国はガラガラでござりましょう。
何となく、餌(天国というユメ物語)でヒトを釣っている感じを受けますぞ。
詐欺の一種ではござりませぬかや?

しかし、門戸が狭すぎることを知らしめると、
ココロのプアの脱却を諦める者が多くなるでしょうなあ。
ここは、ハードルを下げる必要がありますよ。

しかし、下げすぎると、これまた別の問題が出ますぞ。
並みの(ココロの)プアも天国に行けるようにしたら、
何せ、世の 99.4%の者も天国に行けるんですからなあ。⇒ 99.4%についてはこちらをご参照
これから、団塊世代が順次おさらばするようになり、そしてそれらの全員が天国に行くとなると、
天国は、ムカシの通勤ラッシュ状態になりますなあ。
これはタイヘンなことでござります。
天国への道から転げ落ちたり、天国での住まいに困窮する者が出ますぞ。
当座、少なくとも、尻を押し、転げ落ちないための整理要員を雇わねばなりませぬ。
ならば、ワレワレは正社員整理要員を目指さねばなりませぬぞ。
アルバイトや派遣の非正規整理要員は、何としても避けねばなりませぬ。
ここでは、現世をはるかにしのぐ熾烈な競争になりそうですなあ。
タイヘンなことでござります。
ため息が出てまいりましたなあ。

▼『衣食足りて礼節を知る』と言いますなあ。
原文の書き下しは、
「倉廩(そうりん)実ちて則 (すなわ)ち礼節を知り、衣食足りて則ち栄辱 (えいじょく) を知る」
で、かの管仲の言葉だが、
ほれ、管鮑の交わりの管仲はんでござりますよ。
しかし、ムカシはいざ知らず、今は違いますぞ。

管仲はんに注文をつけるつもりはないが、
衣食と礼節は何の関係もござりませぬ。
今の世を見渡せば、一目瞭然でござりましょう。
現に、管仲はんのお国を見ても、衣食が足りてくるに従い、ゴウマンさが露骨に出てきているではござりませぬか。

ニンゲン、衣食が足りても、足らなくても、その本性が出てくるのでござります。
従って、衣食が少し足りない位が最適なのでござります。
ニンゲン、謙虚でなければなりませぬ。
(ワタシが言うと、噴き出す人がいそうだが、ここではそれを無視しましょう。)
つまり、『衣食少々足らずして礼節を知る』が正しいのでござります。

管仲はんは、桓公を覇者にし、国を富ませた実績で、自信を持って言うのだろうが、
何だかオノレを自慢しているように聞こえますぞ。
ヒガミでござりましょうかなあ?

結論は、やはり、プアは適度のプアでとどめるのが宜しいようでござります。
「適度なプア」は、下げ止めるだけでなく、駆け上がる場合もござります。
ワタシの場合は、駆け上がらねばなりませぬ。
何とか「適度のプア」まで登りたいものでござります。
しかし、平地でも杖をつく状態なのに、(ワタシにとっては)絶壁と感じる道を登れますかなあ。
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