鹿児島県の知覧にある特攻平和会館に行った。第二次世界大戦末期、昭和20年に本土最南端の特攻基地になった知覧は、沖縄戦で特攻戦死した若者が出撃した地。特攻戦死した1,036名の隊員の多くが知覧から飛び立った。パンフレットによれば、その慰霊と遺品、記録を後世に語り継ぎ、恒久平和を祈念するために特攻基地址に知覧特攻平和会館が建設されたとある。
内部の撮影は禁止されたので外部だけの写真になった。
平和祈念道路の石灯ろう。2000メートルの両側に並んでいる。ご遺族や元の教官たち、生き残った少年飛行兵たちが資金を出し合って建てたものである。
霧島つつじの咲くころに戦死した。
知覧特攻平和会館のなかには戦死したすべての特攻兵士のご芳名と出身地、ご遺影(中にはない方のもある)が飾られている。朝鮮半島出身の方も10名ほどいらっしゃる。日本名の場合と朝鮮名の場合とある。遺品とか軍服や手紙も展示されている。特攻機の隼(はやぶさ)の展示もある。
土曜日だったが見学者は多く、九州訛りの高校生や中学生が大勢いた。遠いけれど東京あたりからも一度は来たほうがいいところだ。
合掌。