いずれ自動車は自動操縦へ向かうであろう…
道路の有効活用、安全性、環境負荷などいろいろあれど
全ての機械が人の能力をコピーしたものである以上、
「意思を持って動く」という所に向くのは確かでしょう。
人の一番すごく、また機械がなかなか真似できない部分は
「意思」という人の根幹をなす部分でしょう。
だからこそ機械はすべからくフルオートを目指すんでしょうね。
人の夢は「人だけでなく、全てを創造し征服すること」
はっきり口にせずとも、歴史を見る限りその可能性は高いと私は思います。
それは神様になることでしょう。
自らを生み出した神への道を辿ることの是非はここでは語りませんし
語る気もありませんが
もし人がそうだとすれば、その人が生み出した自動車も
その道を歩んでいくのでしょうね(^^;)
ただ…そのためには人間が「人間の意志」というものを
解析し、知り尽くし、それを完全に手の内にせねばならない筈です。
わからない物は作りようがない筈ですから…。
今あるコンピューターや自動(とされる)機械は
人間が考え出したパターンをなぞったり、いくつかの例によって動いているだけで
自ら思考して何かをする機械はまだない筈です。
だから設計者の意図せぬ何かが起こると固まったり、誤作動したり、
予期せぬ結果を導き出したり…と、極めて不安定な代物になっています。
設計された時に想定された事にしか対応できない機械が
人の思考の代わりを務めるのは不可能ですし
だからこそ危険性が取り沙汰されるのだと思います。
この世にはありとあらゆることが起こるのですから…。
それに対応できるのは、人と同じ…もしくはそれ以上の意思を
機械が持った時でしょう。
そしてそれはもはや機械であって機械でないのでしょうね(^^;)
逆に言えば、それができるようになるまで
自動車の完全自動化は無いと思います。
今の技術ではパターン化されたものにいかに細かく対応するか…だけで
パターン外の危険に対応できない以上、
そんな危険な代物を公共の用に供しようという痴れ者はいないと信じたいです(笑)
仮にできたとしても、それはパターンを限定した道路状況を作り出し、
その中でのみ運用する形でしょう。
まだ見ぬ道を走っていけるクルマでは無いと思います。
「自ら動く」には程遠いと思います。
でもいつかはそういうものができるでしょう。
それを生み出し、人を超えていくことこそが人の使命と信じます。
いつになるかは分かりませんが、そういう時代はきっとやってくるでしょう。
その時、クルマは「人の道具」ではなく、「人の仲間」「人の友人」に
なっているかも知れません。
それこそナイト2000ではないですが…(^^;)
いずれにしても…
天下の公道を…、万民のための公道を、
個々が自分の意思で…運転して走り回れる時代というのは
もしかしたら今とその付近の時代だけなのかもしれません(^^;)
ぶっちゃけ「エゴ丸出し」な世界ではあると思います
ただ、私個人としては、こういう時代があったことや
その時代に生きていたことをありがたく思います。
本当の「オートマチックの時代」が来るまで
もう少し自分のエゴの世界で楽しめたら…と思います。
逆にフルオートな世界がやってきた時にも
ポジティブにそこに向かえるような気持ちでいたいと思います。
本当に正しい技術は人を幸せにする技術です。
マニュアルにも、フルオートにもそれはある筈です
もしフルオートが不自由や不幸を感じさせるとしたら
それはそれが似非であるだけの話です。
そういう意味では…あまり心配しなくても大丈夫かな…と
私は思っていますです。
「未来は死語」なんて言う人もいるようですが
未来ってのはそう簡単に推し量れるものじゃないからこそ
不安であり、楽しみでもあるのだと思います。
だったら楽しみにしていた方がいいよね…ってのが
今の時代から未来へ向かう私の考え方です(^^)
★Yellow Comet Web → http://www.sea.sannet.ne.jp/yellow_comet_ap1/
★twitter → http://twitter.com/Yasuo_Watanabe
★That'sゆーのす作品 DL販売なら → http://www.melonbooks.com/recommend/bm/bm_s.htm