日経新聞で楽しみなのが「私の履歴書」を読むことだが
今月の慶応大学名誉教授の米沢富美子先生の履歴書
には久々に朝刊が待ち遠しいくらい高揚させられている
男性の自分がそこまで惹きつけられているくらいだから
女性の読者には、きっと、わくわく、どきどきしながら
男性と堂々と渡り合って活躍してきた米沢先生に魅せら
れているのではないかと思う
米沢先生のことは女性初の日本物理学会会長に選ばれ
話題になったとき、たまたま息子が同じ大学に入学した
ばかりだったので余計に関心を持ったが、なにしろ物理
学なるものにはまったく知識がない自分にとって、それ
以上のことは今日までなにも知らないままにきた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/21/25929fbb9c73c43d8ea686d2edf53f42.jpg)
履歴書で生い立ちから今日までを赤裸々に、しかも堂々
と言う言葉がぴたりするほど、大胆に、包み隠さず公開
されているので愉快にさえ思ってしまう
その活躍ぶりを実績としてはっきりと書かれていること
に、よくもここまでと思うのだが、嫌味がなくて、学者
としてだけでなく、一人の人間として、その前向きな生
き方から多くのヒントや勇気を提供してもらっている
米沢先生は、大阪の吹田生まれ、幼い頃から好奇心旺盛
で「なぜ」「どうして」を連発する子供だったそうだ
4歳の時には、父親の宝物の蓄音機を「中に小人がいて
歌っている」と思って解体したというから面白い
その話には思わず大笑いしてしまった
大学では実験でチームの使うカメラを「中はどうなって
いるんだろう」と解体して3台を全部壊してそうだ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/65/b3c012de9a43022b3e1e4ee2728b9980.jpg)
(湯川秀樹先生の授業-3年の物理学科のクラス)
なぜ、どうしてを問い続け自分の手で明かしつつ歩んで
きた73年間は、限りない挑戦に胸躍らせ文字通り寝食
を忘れて取り組んだという
その始まりが数学から・・・だ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/9b/32cea2b32e6f9f12eaa1ebe45a089cd3.jpg)
数学の得意だったお母さんの影響を受けて数学が好きで
京大の理学部へ、大学院時代にはノーベル賞学者の湯川
秀樹博士にも指導を受けた
大学の2年先輩と大学院修士時代に結婚、そのご主人の
厳しい激励をすべて追い風にして、やがて国内外ひろく
活躍の舞台を広げ、国際学会をひとりで開催するほどの
実力を蓄積し数多くの研究論文で世界に存在を高めた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/a0/a2390a96afba86da60906e9ebd9b6c8b.jpg)
一方で、三人の娘さんの母親として、ご主人に頼ること
なく育児に努めて、娘さん達も立派に自立させた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/b0/ab08bb9a387f305889cf281a812143d3.jpg)
自分の人生を要約すると「幸運」の一語に尽きるそうだ
しかし、35歳のときに子宮前がんで全摘
83年と84年に乳がんで左右の乳房を全摘
70歳で甲状腺をがんで摘出、なんと5度のがん手術の
翌日から論文を書いてきたというのだからすさまじい
それでも復活しているので幸運といっているのかもしれ
ないが、普通なら不運にも・・といいたいところだろう
通常ではマイナスなできごとや状況としてとらえられる
ことを、明るく受けて立つだけでなく、ことごとくブラスの
結果を生み出していくすごさには驚いてしまう
一昨日の履歴書では、最愛のご主人が還暦を迎えた直後
に静脈瘤破裂で亡くなる場面が書かれていた
その別れの場面には思わずこちらも涙をさそわれた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/6b/3e0583169e9c05ff0433c398b0bc59c1.jpg)
いまは要介護5で大阪に住む94歳のお母さんの遠距離
介護に通っているそうだ
米沢先生の私の履歴書もあと二日、どんな内容でまとめ
られるのか、わくわく、待ち遠しい
切り抜きをしたのは去年の建築家の安藤忠雄さん以来に
なるが、期せずして2人が大阪出身というのは偶然か?
地元大阪のニュースが掲載されないために、地域情報が
得られない日経新聞より、地元のニュースがタイムリー
に載る全国紙に替えようかと時々思うが「私の履歴書」で
こんな感動をもらうと私の履歴書とは別れづらい。
今月の慶応大学名誉教授の米沢富美子先生の履歴書
には久々に朝刊が待ち遠しいくらい高揚させられている
男性の自分がそこまで惹きつけられているくらいだから
女性の読者には、きっと、わくわく、どきどきしながら
男性と堂々と渡り合って活躍してきた米沢先生に魅せら
れているのではないかと思う
米沢先生のことは女性初の日本物理学会会長に選ばれ
話題になったとき、たまたま息子が同じ大学に入学した
ばかりだったので余計に関心を持ったが、なにしろ物理
学なるものにはまったく知識がない自分にとって、それ
以上のことは今日までなにも知らないままにきた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/21/25929fbb9c73c43d8ea686d2edf53f42.jpg)
履歴書で生い立ちから今日までを赤裸々に、しかも堂々
と言う言葉がぴたりするほど、大胆に、包み隠さず公開
されているので愉快にさえ思ってしまう
その活躍ぶりを実績としてはっきりと書かれていること
に、よくもここまでと思うのだが、嫌味がなくて、学者
としてだけでなく、一人の人間として、その前向きな生
き方から多くのヒントや勇気を提供してもらっている
米沢先生は、大阪の吹田生まれ、幼い頃から好奇心旺盛
で「なぜ」「どうして」を連発する子供だったそうだ
4歳の時には、父親の宝物の蓄音機を「中に小人がいて
歌っている」と思って解体したというから面白い
その話には思わず大笑いしてしまった
大学では実験でチームの使うカメラを「中はどうなって
いるんだろう」と解体して3台を全部壊してそうだ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/65/b3c012de9a43022b3e1e4ee2728b9980.jpg)
(湯川秀樹先生の授業-3年の物理学科のクラス)
なぜ、どうしてを問い続け自分の手で明かしつつ歩んで
きた73年間は、限りない挑戦に胸躍らせ文字通り寝食
を忘れて取り組んだという
その始まりが数学から・・・だ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/9b/32cea2b32e6f9f12eaa1ebe45a089cd3.jpg)
数学の得意だったお母さんの影響を受けて数学が好きで
京大の理学部へ、大学院時代にはノーベル賞学者の湯川
秀樹博士にも指導を受けた
大学の2年先輩と大学院修士時代に結婚、そのご主人の
厳しい激励をすべて追い風にして、やがて国内外ひろく
活躍の舞台を広げ、国際学会をひとりで開催するほどの
実力を蓄積し数多くの研究論文で世界に存在を高めた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/a0/a2390a96afba86da60906e9ebd9b6c8b.jpg)
一方で、三人の娘さんの母親として、ご主人に頼ること
なく育児に努めて、娘さん達も立派に自立させた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/b0/ab08bb9a387f305889cf281a812143d3.jpg)
自分の人生を要約すると「幸運」の一語に尽きるそうだ
しかし、35歳のときに子宮前がんで全摘
83年と84年に乳がんで左右の乳房を全摘
70歳で甲状腺をがんで摘出、なんと5度のがん手術の
翌日から論文を書いてきたというのだからすさまじい
それでも復活しているので幸運といっているのかもしれ
ないが、普通なら不運にも・・といいたいところだろう
通常ではマイナスなできごとや状況としてとらえられる
ことを、明るく受けて立つだけでなく、ことごとくブラスの
結果を生み出していくすごさには驚いてしまう
一昨日の履歴書では、最愛のご主人が還暦を迎えた直後
に静脈瘤破裂で亡くなる場面が書かれていた
その別れの場面には思わずこちらも涙をさそわれた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/6b/3e0583169e9c05ff0433c398b0bc59c1.jpg)
いまは要介護5で大阪に住む94歳のお母さんの遠距離
介護に通っているそうだ
米沢先生の私の履歴書もあと二日、どんな内容でまとめ
られるのか、わくわく、待ち遠しい
切り抜きをしたのは去年の建築家の安藤忠雄さん以来に
なるが、期せずして2人が大阪出身というのは偶然か?
地元大阪のニュースが掲載されないために、地域情報が
得られない日経新聞より、地元のニュースがタイムリー
に載る全国紙に替えようかと時々思うが「私の履歴書」で
こんな感動をもらうと私の履歴書とは別れづらい。
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