13日の奈良検定を受けた後、午後から寒ボタンで
有名な石光寺を訪ねた
近鉄高の原駅から橿原線で橿原神宮前に行き乗換え
南大阪線の準急で二上神社口に向かう
しばらくすると車窓の左手に二上山が見えてきた
なつかしい、右が雄岳、左が雌岳だ

この雄岳の頂には謀反の疑いをかけられて自決した
悲運の大津皇子の墓はかって登山した時に見ている
ので知っている
このあたりは中将姫の伝説とともに秘話の残る地域で
万葉集にも大津皇子の姉・大伯皇女の歌がある
うつそみの 人なる我や
明日よりは二上山を
弟と我が見む
二上神社口駅で下車、駅前から二上山の麓をめざして
ゆるやかな坂道を登っていく


ここは昭和の時代、まだ小学生だった息子と二度ほど
きて二上山に登ったことがある
急な山道を息子に追いつけなくて振り返る子の姿が
いまでも鮮明に浮かんでくる
駅からまっすぐに石光寺への道を行かないで二上山
ふるさと公園あたりをぐるりと散策ウォーキング!
もう目の前が二上山、下山してきたのかおじさん達の
グループとすれ違った

当麻寺の道の駅・ふたかみパーク当麻へ寄ってみた
ここの名物「こんにゃく」とコーヒーで休憩した
うろうろ歩いていると田んぼでトンドの用意をして
いるのに遭遇した
子供の頃、田舎でよくみかけた光景でなつかしい!

バイパスに沿って歩いて中将姫の石光寺の看板から
古い道を入ると石光寺の正面へ着いた

ほんとうに久しぶりだが昔のイメージのままだった
出入りする人が多いのは寒ボタンの時期だからか・・
ボタンで有名だが、春のボタンだけでなく寒に咲く
寒ボタンとしてとくに有名、それが楽しみで今日は
試験会場から遠く離れたこちらまでやってきた

ここは関西花の寺霊場20番としても知られている

石光寺とは・・・パンフレットから

天地天皇の時(670年ごろ)に、この地に光を放つ
三大石があり、掘ると弥勒三尊の石像が現われた。
勅願により堂宇を建立し「石光寺」の名を賜り役の
小角が開山となり弥勒如来を本尊としてまつったの
がはじまり。
聖武天皇の時(750年ごろ)に、蓮糸曼陀羅を織った
中将姫が、この寺の井戸で蓮糸を洗い五色に染めて
桜の木にかけて乾かしたというので、この桜を「糸
かけ桜」、井戸を「染の井」、またこの寺を「染寺」
ともいい、二上山頂まで「しめ」という。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
中将姫の秘話はよく知られているが・・・
生まれは奈良町にある誕生寺、幼いころ母を亡くし
継母に育てられるが虐待を受けて当麻寺に入った。
そこで阿弥陀如来の法力を得て蓮糸で曼荼羅を織り
あげることで救済されたことで知られている。
石光寺の門をくぐると庭園に藁でつくられた藁帽子
が点在するなつかしい光景が広がっていた

まず「中将姫の像」と「染め井」に向かった

左手にあるのが五色に染めた曼陀羅をかけ乾かした
という「糸かけ桜」

ひっそりと藁帽子の中にたたずんでいる寒ボタンを
見てまわった








なぜ藁帽子をかぶっているのか?
実は寒ボタンには葉っぱがない、茎と可憐な花だけ、
風や雨や雪の重さから守られているのだと思う
与謝野鉄幹、晶子の歌碑もある

鉄幹
時雨ふる日はおもひいづ
当麻の里の染寺に
ひともと枯れし柳の木
京の禁裡の広前に
ぬれて踏みける銀杏の葉

晶子
初春や当麻の寺へ文かけば
奈良の都に住むここちする
弥勒堂、ここは今月のみ秘宝が開帳されている



気がついたら午後も3時半になっていた
夜には大阪駅近くで新年会があるので早く帰りたい
あわてて今度は当麻寺駅をめざしてウォーキング!

当麻寺は春ボタンの5月に来ることにしているので
今日は表を素通り
古い静かな通りは昔のままだった

当麻寺東大門

当麻寺の参道

うまく15時59分の準急に間に合った
天王寺経由で地下鉄に乗り継ぎ仕事場へ戻ってきた
少し休憩をして本日の第3部、新年会へ
これは後日に。
有名な石光寺を訪ねた
近鉄高の原駅から橿原線で橿原神宮前に行き乗換え
南大阪線の準急で二上神社口に向かう
しばらくすると車窓の左手に二上山が見えてきた
なつかしい、右が雄岳、左が雌岳だ

この雄岳の頂には謀反の疑いをかけられて自決した
悲運の大津皇子の墓はかって登山した時に見ている
ので知っている
このあたりは中将姫の伝説とともに秘話の残る地域で
万葉集にも大津皇子の姉・大伯皇女の歌がある
うつそみの 人なる我や
明日よりは二上山を
弟と我が見む
二上神社口駅で下車、駅前から二上山の麓をめざして
ゆるやかな坂道を登っていく


ここは昭和の時代、まだ小学生だった息子と二度ほど
きて二上山に登ったことがある
急な山道を息子に追いつけなくて振り返る子の姿が
いまでも鮮明に浮かんでくる
駅からまっすぐに石光寺への道を行かないで二上山
ふるさと公園あたりをぐるりと散策ウォーキング!
もう目の前が二上山、下山してきたのかおじさん達の
グループとすれ違った

当麻寺の道の駅・ふたかみパーク当麻へ寄ってみた
ここの名物「こんにゃく」とコーヒーで休憩した
うろうろ歩いていると田んぼでトンドの用意をして
いるのに遭遇した
子供の頃、田舎でよくみかけた光景でなつかしい!

バイパスに沿って歩いて中将姫の石光寺の看板から
古い道を入ると石光寺の正面へ着いた

ほんとうに久しぶりだが昔のイメージのままだった
出入りする人が多いのは寒ボタンの時期だからか・・
ボタンで有名だが、春のボタンだけでなく寒に咲く
寒ボタンとしてとくに有名、それが楽しみで今日は
試験会場から遠く離れたこちらまでやってきた

ここは関西花の寺霊場20番としても知られている

石光寺とは・・・パンフレットから

天地天皇の時(670年ごろ)に、この地に光を放つ
三大石があり、掘ると弥勒三尊の石像が現われた。
勅願により堂宇を建立し「石光寺」の名を賜り役の
小角が開山となり弥勒如来を本尊としてまつったの
がはじまり。
聖武天皇の時(750年ごろ)に、蓮糸曼陀羅を織った
中将姫が、この寺の井戸で蓮糸を洗い五色に染めて
桜の木にかけて乾かしたというので、この桜を「糸
かけ桜」、井戸を「染の井」、またこの寺を「染寺」
ともいい、二上山頂まで「しめ」という。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
中将姫の秘話はよく知られているが・・・
生まれは奈良町にある誕生寺、幼いころ母を亡くし
継母に育てられるが虐待を受けて当麻寺に入った。
そこで阿弥陀如来の法力を得て蓮糸で曼荼羅を織り
あげることで救済されたことで知られている。
石光寺の門をくぐると庭園に藁でつくられた藁帽子
が点在するなつかしい光景が広がっていた

まず「中将姫の像」と「染め井」に向かった

左手にあるのが五色に染めた曼陀羅をかけ乾かした
という「糸かけ桜」

ひっそりと藁帽子の中にたたずんでいる寒ボタンを
見てまわった








なぜ藁帽子をかぶっているのか?
実は寒ボタンには葉っぱがない、茎と可憐な花だけ、
風や雨や雪の重さから守られているのだと思う
与謝野鉄幹、晶子の歌碑もある

鉄幹
時雨ふる日はおもひいづ
当麻の里の染寺に
ひともと枯れし柳の木
京の禁裡の広前に
ぬれて踏みける銀杏の葉

晶子
初春や当麻の寺へ文かけば
奈良の都に住むここちする
弥勒堂、ここは今月のみ秘宝が開帳されている



気がついたら午後も3時半になっていた
夜には大阪駅近くで新年会があるので早く帰りたい
あわてて今度は当麻寺駅をめざしてウォーキング!

当麻寺は春ボタンの5月に来ることにしているので
今日は表を素通り
古い静かな通りは昔のままだった

当麻寺東大門

当麻寺の参道

うまく15時59分の準急に間に合った
天王寺経由で地下鉄に乗り継ぎ仕事場へ戻ってきた
少し休憩をして本日の第3部、新年会へ
これは後日に。
検定試験に使用する学校が、補修工事の為試験の日が例年より4カ月遅れで11月に実施。昨日合格証が届きました。
ランドセルさんのブログを拝見して私も歩くだけではなく頭も使ってみようと始めた検定試験でしたが、覚えが悪く四苦八苦しました。歩けば頭に残ると思い、過去問を片手に鎌倉の神社仏閣を巡り、目と頭と足で覚える作戦に変更。一ヶ所間違え満点とはいきませんでしたが、達成感を覚えることが出来ました。(8歳の男の子さんも合格とのこと。)今年はもう一つ上を目指して見ます。ヨコハマ検定・かながわ検定もあるので挑戦してみたいと思うようになりました。
すごい、99点とは!
知らずして歩く道と知って歩く道はちがいますね。ワンランク上をめざされるんですね。それにヨコハマ・かながわ検定・・・気合がはいっていますね!よっくんさんに続いておせつさん、SNS仲間がチャレンジされているのがうれしいです。
私の奈良も自己採点で○です。一応関西の4検定でひとまず終了です。なにしろ記憶力が勝負ですからきついです。ほんとうにおめでとうございました。