一昨日の「再び東海道へ」のブログに数人の方から
ありがたい励ましのメールをいただいた
5年前に日本橋まで完歩した時には二度と歩くことなど
100%思っていなかったのに
なぜ?また歩く気になったの?
そもそもこの計画はどうして生まれたのか?
それは4月13日の75歳の誕生会でこれから残された人生を
どんな生き方をするか!
その夢を発表することにしていた
そのために先月の後半から75歳以降のめざす夢を地図に
作成していた時に再び東海道を歩くことが頭に浮かんだ
それには孫姫の存在が大きくかかわっていたんだ
東京にいる孫に会いに東海道を歩いて行こう
孫がいなければこんなことを考えることはあり得なかった
(5年前は「息子訪ねて・・・」で完歩したので)
東京でまだ0歳の孫姫に爺が元気なうちに会えるのは
大阪に住んでいる限り回数は少ないだろう
爺があと10年生きられたとしても85歳
その時に孫は10歳だ
口で何かを伝えたり元気な姿を見せても記憶に残すには
限界があるだろうと思った
それならインパクトの強い「伝説の爺」を残したい!
つまり「伝説の爺」になってやろう
18日に息子の招きで上京して金婚式を祝ってくれた席で
息子夫婦にその話をして日本橋へ行きたいと言ったら
お嫁さんと孫姫までが日本橋まで一緒に行ってくれた
再び孫姫が爺を東海道の舞台に立たせてくれるんだ
もう引返されないと覚悟を決めた
東海道を少しずつ歩いて完歩するとしても体力的には
5年後の80歳がせいいっぱいだろうと思う
5年の期間があればぼちぼちでも歩けるかもしれない
その年は2020年東京オリンピックの年で孫娘は5歳
ゴールのことは少しくらい記憶に残るかもしれない
少なくとも写真は撮ってメッセージとして残せる
爺が大阪から自分を訪ねて東京まで歩いてきたことは
爺がいなくなっても親からも聞いて育ってくれるだろう
自分のためにこんなことをしてくれた「伝説の爺」として
大事にしてくれたらそれでいいと思って歩くつもりだ
いわば遺書?遺歩、プレゼントだ!
正直なところ気は重い
前回に歩いた時のことを思い出すと自信より不安だらけ
歩ける確信はない
それを思うとしんどくなる
だから先のことは考えない
完歩も考えない
でも、80歳の誕生日には途中をカットしても日本橋に
たって孫姫にだけは会いたいと思っている
それでもいいんだ
これも人生
孫姫が与えてくれた爺へのプレゼントと思えば有難い
決めた以上は振り向かない
一番の不安は歩力を含めた体力と健康のこと
完歩には相当のエネルギーを消費し体力も消耗する
この半年の腰痛のせいもあるが体力の低下が著しい
先日の三条大橋から大津まで12キロ余りがいいとこ
もう一度、真剣に体力づくりをして歩ける体にしたい
スピードは不可能だから持久力で頑張る以外はない
また当時苦労して集めた資料の大部分はすでにない
当時の記憶はせいぜい20%もあればいいとこ
道の大半は覚えていない思うのでこれも心配なこと
それを乗り越える根気がどこまで続くかだ
いずれにしても人生の終盤に挑む爺の冒険は命がけ、
そう思って歩こうと決めている
この新企画はこんなところから始まった。
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