先月13日に東海道五十三次を
日本橋ゴールしたばかりだが
3年間の東海道歩き納めのためにも
無事に完歩ができたお礼?のためにも
3年前のスタートの日に歩いた
三条大橋から瀬田唐橋まで歩くことにした
三条大橋の西詰めにある
弥次さん、喜多さんの像の前で
そばにいた人にシャッターを押してもらって
快晴の三条大橋をスタート
加茂川の流れもはるか比叡の山も
穏やかに見送ってくれるかのよう思えた
今日はあれから3年と19日目
あの日歩いたコースを覚えているか
試してみるのも面白いと思った
いざ歩いて行くと3年のブランクなど
まったく感じられないくらいで
ついこの間歩いたような錯覚を覚えた
さわやかな春の風
行く手正面の東山連峰の緑
目に映る古都は春一色
しかし三条通にも新しい発見があった
坂本龍馬 お龍「結婚式場」跡の碑
ブームに乗ってか昨9年9月に建立されたもの
「当地は青蓮院の旧境内で、その塔頭金蔵寺跡です。
元治元年(1864)8月初旬、当地本堂で、坂本龍馬と
妻お龍(鞆)は「内祝言」、すなわち内々の結婚式を
しました・・・以下略。説明碑より
蹴上まで行くと浄水場の一般公開中で
大勢の人が訪れ早いつつじ見物をしていた
南禅寺の山門を眺めることもできた
日ノ岡峠をこえて山科へくだり
山科三条通りの東海道碑の前にいたら
通りかがりの青年がシャッター押しましょうか?
別に頼んだわけでもないが
せっかくの申し出を断ってはいけない
ありがとう!よろしく!
はい、ポーズ!
こんな優しい青年もいる
ほのぼのとした気持ちになった
前回と同じ山科十禅寺で昼食にした
日差しの強い道を歩いて日影はありがたい
しばらくベンチでのんびりと休憩をして
京都市山科から滋賀県大津市へ
1号線にそって日本橋からの距離表示がある
なつかしい、これを見て歩いたなあ・・・
487.8(キロ)・・ 487.7キロ
周り道、出入りの激しい旧東海道はもっとある
気が遠くなる思いがしたものだったが
月心寺
先日、それも日本橋ゴールで「0」になった
もう一度歩いてみるか?と自分に問うたら
もう、結構です!ともう一人が答えた
中間点の関所のあった逢坂山峠で休憩
3年前になかったトイレとベンチができていた
5人のウォーカーと東海道話で盛り上がった
東海道で一番景色の良かったところは?
”さった峠です”と答えたら
”そうですか、やっばり”と言ってきた
歳はいくつですか?
なぜか知らないが必ず年齢を聞かれる
同輩に見えるのだろう、気になるのかも
聞くなら自分の歳を言うのがマナーや(つぶやき)
それでも気持ちのいい会話が続いた
あのウォーカーさん、53次に興味があったみたい
蝉丸神社へ寄り大津宿跡を過ぎ
大津市の中心街を通り抜けて
前回ゆっくりできなかった義仲寺へ
義仲寺は、平家討伐の兵を挙げて都に入り帰りに
源頼朝軍に追われて近くの粟津の地で壮烈な最期
を遂げた木曽義仲(1154-1184)を弔うために
義仲の愛妾巴御前が、義仲の墓のそばに結んだ
草庵をはじめとしている
美しい景観を愛した松尾芭蕉(1644-94)の生前の
遺言によってここに墓が立てられている
芭蕉の辞世の句
「旅に病て夢は枯野をかけめぐる」
わが国俳諧第一聖地として多くの俳人の句碑が
立っており、境内全域が国の史跡に指定された
西日の差しこむ境内は一段と薄緑が鮮やかだった
木曽義仲の墓
芭蕉の墓
前回休憩した石坐神社に寄ってみると
明日から始まる五社祭りの豪華なお神輿が飾られて
代表の方が神社のいわれから祭りまで説明してくれた
ここまで3年前の記憶通りにすすんだが
続きの前回迷って苦労した膳所神社からまたまた
今日もてこずってしまった
そのあたりへ行くと不思議に記憶がぷつりと
消えて前回間違った場所へまた行ってしまい
軌道修正に手間取った
ここの東海道は複雑に右へ左へ曲がりくねって
ひとつ筋を入り間違えるとまるでわからない
又引っ返してはやりなおし
途中で休憩を取りすぎたこともあったが
予定より大幅におそくなって
前回ゴールの瀬田川にかかる瀬田唐橋についた
3年前より約1時間も長かったのは
二回目なのに意外だったが
まあのんびり歩いたことが原因だろう
ただ、それだけ体力、歩力が落ちていると
自覚したほうがいいと思った
約36.200歩、よく歩いた
瀬田川畔に腰をおろしてしばらくは
琵琶湖朝日レガッタ大会中の大学生の
ボートの練習風景を見て楽しんだ。
日本橋ゴールしたばかりだが
3年間の東海道歩き納めのためにも
無事に完歩ができたお礼?のためにも
3年前のスタートの日に歩いた
三条大橋から瀬田唐橋まで歩くことにした
三条大橋の西詰めにある
弥次さん、喜多さんの像の前で
そばにいた人にシャッターを押してもらって
快晴の三条大橋をスタート
加茂川の流れもはるか比叡の山も
穏やかに見送ってくれるかのよう思えた
今日はあれから3年と19日目
あの日歩いたコースを覚えているか
試してみるのも面白いと思った
いざ歩いて行くと3年のブランクなど
まったく感じられないくらいで
ついこの間歩いたような錯覚を覚えた
さわやかな春の風
行く手正面の東山連峰の緑
目に映る古都は春一色
しかし三条通にも新しい発見があった
坂本龍馬 お龍「結婚式場」跡の碑
ブームに乗ってか昨9年9月に建立されたもの
「当地は青蓮院の旧境内で、その塔頭金蔵寺跡です。
元治元年(1864)8月初旬、当地本堂で、坂本龍馬と
妻お龍(鞆)は「内祝言」、すなわち内々の結婚式を
しました・・・以下略。説明碑より
蹴上まで行くと浄水場の一般公開中で
大勢の人が訪れ早いつつじ見物をしていた
南禅寺の山門を眺めることもできた
日ノ岡峠をこえて山科へくだり
山科三条通りの東海道碑の前にいたら
通りかがりの青年がシャッター押しましょうか?
別に頼んだわけでもないが
せっかくの申し出を断ってはいけない
ありがとう!よろしく!
はい、ポーズ!
こんな優しい青年もいる
ほのぼのとした気持ちになった
前回と同じ山科十禅寺で昼食にした
日差しの強い道を歩いて日影はありがたい
しばらくベンチでのんびりと休憩をして
京都市山科から滋賀県大津市へ
1号線にそって日本橋からの距離表示がある
なつかしい、これを見て歩いたなあ・・・
487.8(キロ)・・ 487.7キロ
周り道、出入りの激しい旧東海道はもっとある
気が遠くなる思いがしたものだったが
月心寺
先日、それも日本橋ゴールで「0」になった
もう一度歩いてみるか?と自分に問うたら
もう、結構です!ともう一人が答えた
中間点の関所のあった逢坂山峠で休憩
3年前になかったトイレとベンチができていた
5人のウォーカーと東海道話で盛り上がった
東海道で一番景色の良かったところは?
”さった峠です”と答えたら
”そうですか、やっばり”と言ってきた
歳はいくつですか?
なぜか知らないが必ず年齢を聞かれる
同輩に見えるのだろう、気になるのかも
聞くなら自分の歳を言うのがマナーや(つぶやき)
それでも気持ちのいい会話が続いた
あのウォーカーさん、53次に興味があったみたい
蝉丸神社へ寄り大津宿跡を過ぎ
大津市の中心街を通り抜けて
前回ゆっくりできなかった義仲寺へ
義仲寺は、平家討伐の兵を挙げて都に入り帰りに
源頼朝軍に追われて近くの粟津の地で壮烈な最期
を遂げた木曽義仲(1154-1184)を弔うために
義仲の愛妾巴御前が、義仲の墓のそばに結んだ
草庵をはじめとしている
美しい景観を愛した松尾芭蕉(1644-94)の生前の
遺言によってここに墓が立てられている
芭蕉の辞世の句
「旅に病て夢は枯野をかけめぐる」
わが国俳諧第一聖地として多くの俳人の句碑が
立っており、境内全域が国の史跡に指定された
西日の差しこむ境内は一段と薄緑が鮮やかだった
木曽義仲の墓
芭蕉の墓
前回休憩した石坐神社に寄ってみると
明日から始まる五社祭りの豪華なお神輿が飾られて
代表の方が神社のいわれから祭りまで説明してくれた
ここまで3年前の記憶通りにすすんだが
続きの前回迷って苦労した膳所神社からまたまた
今日もてこずってしまった
そのあたりへ行くと不思議に記憶がぷつりと
消えて前回間違った場所へまた行ってしまい
軌道修正に手間取った
ここの東海道は複雑に右へ左へ曲がりくねって
ひとつ筋を入り間違えるとまるでわからない
又引っ返してはやりなおし
途中で休憩を取りすぎたこともあったが
予定より大幅におそくなって
前回ゴールの瀬田川にかかる瀬田唐橋についた
3年前より約1時間も長かったのは
二回目なのに意外だったが
まあのんびり歩いたことが原因だろう
ただ、それだけ体力、歩力が落ちていると
自覚したほうがいいと思った
約36.200歩、よく歩いた
瀬田川畔に腰をおろしてしばらくは
琵琶湖朝日レガッタ大会中の大学生の
ボートの練習風景を見て楽しんだ。
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