光市の母子殺害 元少年に死刑
光市母子殺害、当時18歳の男に死刑判決…広島高裁(読売新聞) - goo ニュース
いつ誰が巻き込まれてもおかしくない事件。
そう思うと、怖く
当事者でない自分でさえ
底なしに悲しかった あの事件。
あれから9年も・・・・
昨日。
本村さんの会見を見る。
ひとつひとつの言葉を 重くかみしめる。
遺族の感情は
癒えることはないが、
納得は出来た
ということだった。
本村さんの言葉からは
被害者側、遺族という立場を越えた
切実な思いを強く感じた。
事件に巻き込まれる前までは
六法全書を開いたこともなかったという彼が
あそこまで
法についての考えを語るに至った
道のりを思うと胸がつまり、
この言葉をしっかり聴き
これで終わりではなく
これから
一人ひとりが考えていかなければならない
始まりなのだと
思わずにはいられなかった。
忘れないために。
心に残ったいくつかのことを記しておきたいと思った。
・・・・・・
供述をひるがえしたことについて。
新しく変わった弁護団の弁護方針が
どのように関わっていたのか
正直私もよくわからない。
結局
本当のところは分からない、ということから
本村さんの意見では
今後
被告の心境や悔悟の弁を
くみ取る報道があっていい。
被告が反省した姿を社会に知らしめることが
何よりも防犯につながるのでは
ということだった。
判例にとらわれない
個別の事案にあった判決について。
死刑適用基準(永山基準9項目)において
判例ならば無期懲役が妥当。
しかし今回
犯人自身のことについてより
犯罪そのものの残虐性が重視されたことで
このような判決になったらしい。
確かに。専門的なことはわからないが
判例がどうだということより
事件の当事者であれば、その事件が
どうであるかを見てほしいと 思う。
この9年間で
被害者の地位や権利が変わってきたこと。
意見陳述権
優先傍聴権
当事者として参加出来ること。
まだまだ問題はある。
法律は常に未完だと思い
よりよく改定していくべき、という意見。
裁判で意見を言ったり
それ以前に、傍聴することすら優先されなかったなんて。
当たり前のようなことが
当たり前でなかったんだ。
知ることが大切だと思った。
死刑の是非について。
簡単にどちらがいいとは言えないが
なければこれほど世論が動くこともなかったかもしれない、と。
今あるこの制度を
常に 悩みながら 迷いながら
維持して行くことに意味がある という意見。
死刑に限らず
何事も完璧なものはないのだろう。
常に考えを出し合い
よりよくしていける場は大切だと思う。
そして最後に
一番心に残った言葉。
どうすれば
犯罪の被害者も加害者も
生まない社会をつくれるのか。
皆で考えていきたい ということ。
死刑に関しては
色々な議論があるけれど
どちらの立場でも、目的は同じなのだと。
望むも社会は 同じということ
なのだろう。
答えのない この難しい問題を
心に留めて 過ごしていくこと
ごくごく身近な日常の中で
見過ごしたり
勇気がでずに
出来ないまま通り過ぎている
小さな
でもたくさんの あれこれ。
どこかで
立ち止まって考えることが
ささやかだけど
少しずつ前に進める一歩だと思うし
そのことが
失われた命を無駄にしないことだと思う。
何も出来ないなんて
言えない。
言いたくない。
光市母子殺害、当時18歳の男に死刑判決…広島高裁(読売新聞) - goo ニュース
いつ誰が巻き込まれてもおかしくない事件。
そう思うと、怖く
当事者でない自分でさえ
底なしに悲しかった あの事件。
あれから9年も・・・・
昨日。
本村さんの会見を見る。
ひとつひとつの言葉を 重くかみしめる。
遺族の感情は
癒えることはないが、
納得は出来た
ということだった。
本村さんの言葉からは
被害者側、遺族という立場を越えた
切実な思いを強く感じた。
事件に巻き込まれる前までは
六法全書を開いたこともなかったという彼が
あそこまで
法についての考えを語るに至った
道のりを思うと胸がつまり、
この言葉をしっかり聴き
これで終わりではなく
これから
一人ひとりが考えていかなければならない
始まりなのだと
思わずにはいられなかった。
忘れないために。
心に残ったいくつかのことを記しておきたいと思った。
・・・・・・
供述をひるがえしたことについて。
新しく変わった弁護団の弁護方針が
どのように関わっていたのか
正直私もよくわからない。
結局
本当のところは分からない、ということから
本村さんの意見では
今後
被告の心境や悔悟の弁を
くみ取る報道があっていい。
被告が反省した姿を社会に知らしめることが
何よりも防犯につながるのでは
ということだった。
判例にとらわれない
個別の事案にあった判決について。
死刑適用基準(永山基準9項目)において
判例ならば無期懲役が妥当。
しかし今回
犯人自身のことについてより
犯罪そのものの残虐性が重視されたことで
このような判決になったらしい。
確かに。専門的なことはわからないが
判例がどうだということより
事件の当事者であれば、その事件が
どうであるかを見てほしいと 思う。
この9年間で
被害者の地位や権利が変わってきたこと。
意見陳述権
優先傍聴権
当事者として参加出来ること。
まだまだ問題はある。
法律は常に未完だと思い
よりよく改定していくべき、という意見。
裁判で意見を言ったり
それ以前に、傍聴することすら優先されなかったなんて。
当たり前のようなことが
当たり前でなかったんだ。
知ることが大切だと思った。
死刑の是非について。
簡単にどちらがいいとは言えないが
なければこれほど世論が動くこともなかったかもしれない、と。
今あるこの制度を
常に 悩みながら 迷いながら
維持して行くことに意味がある という意見。
死刑に限らず
何事も完璧なものはないのだろう。
常に考えを出し合い
よりよくしていける場は大切だと思う。
そして最後に
一番心に残った言葉。
どうすれば
犯罪の被害者も加害者も
生まない社会をつくれるのか。
皆で考えていきたい ということ。
死刑に関しては
色々な議論があるけれど
どちらの立場でも、目的は同じなのだと。
望むも社会は 同じということ
なのだろう。
答えのない この難しい問題を
心に留めて 過ごしていくこと
ごくごく身近な日常の中で
見過ごしたり
勇気がでずに
出来ないまま通り過ぎている
小さな
でもたくさんの あれこれ。
どこかで
立ち止まって考えることが
ささやかだけど
少しずつ前に進める一歩だと思うし
そのことが
失われた命を無駄にしないことだと思う。
何も出来ないなんて
言えない。
言いたくない。