8/10 小豆島 大部 砂子造船所跡にて
大部のできごと
とうちゃんとしょうちゃんの猫文学
スタッフでお手伝いしつつ
観させてもらった!
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とうちゃんと、しょうちゃん。
とうちゃんは父ちゃんじゃない。
それは、仲のいい二人の名前。
しょうちゃんが死んだ。
でも、あれれ?
とうちゃんと話してる。
おかしくて、
せつなくて、
胸がきゅーっとなって
なぜか分からないけど涙が
いつの間にか頬を伝う。
日が暮れる、刻々と変わる
空や海を まるごと感じながら
最後には あふれるものに包まれる、
そんなひとときだった。
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“そんなのは
宇宙のはじっこのできごとじゃないか”
とうちゃんは言う。
宇宙に比べたらちっぽけなこと。
だから気にするな……そう思うけど。
しょうちゃんについて語られる
色々な話を聞いていると
そのひとつひとつが
その人を教えてくれる。
ささやかだけど、それは
生きた証のようで。
ちょっと恥ずかしい話も
嫌なことも たぶん
全部まとめて 大切なこと。
私たちも
宇宙のはじっこで生きている。
小さなことを気に病むなと
言われつつも、
そんな小さなことを
ちゃんと見てくれている。
それは決して
どうでもいいことじゃないんだ。
そんなふうに思えて
じんとした。
出棺の時、そんな時にも
いつかの夢を語る。
空には宇宙。
目の前の海に見えるのは
死の後の、何もない世界じゃなくて
何かキラキラするものを感じた。
しょうちゃんを見送る。
またいつか。その時まで
私たちも 生きていく。
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折しもお盆。
先祖の霊を迎え、
供養し、送り出す時期だ。
亡くなった人のためだけど
生きている人のためでも
あるかもしれない。
あんなふうにあの場所で
変わる空や海や風も共にする。
観ている人もその中に溶け込んでいく。
お盆だなぁ………。
なぜかそんなことが頭に浮かんだ。
共にできるひとときに
身を置けることが嬉しい。
どうしようもなく遠く
感じることも少なくない。
だからこそ
それが有り難くいとおしく
感じるのかもしれない。
あの場所で
あの時間でなければ見られないもの。
確かにそれが目の前にあった。
そんな奇跡があと2回。
11、12日
皆さんが共にできますように☆.。