樹月けい、オタク母のブログ。アニメ・漫画。お絵かき展示等。義母の介護終わり、義父のご飯お手伝い中。
昼に引き続き
2/25(土)
アンドロイド演劇「さようなら」
18時公演 (アフタートークあり)
於:坂出市民ホール
次女はノトスで一度観ている。
また観たいというので一緒に。
三女は純粋にアンドロイドに
興味があったようだ。
「大丈夫です」同じ言葉を繰り返し
壊れているのでは?と思われるところ。
三女はあれが怖かったようだ(笑)。
視力が悪いので前の方に座ったけれど
場所のせいかアンドロイドの声が
少し聞き取りにくかった。
そんなこともあって
そこまで気持ちが入り込む感じでは
なかったのかもしれない。
次女の方は、
一度観ているということもあるが
また観ても、物悲しい気持ちになり
うまく感想の言葉が出ないのだとか。
私は三度目。
ある程度の筋はネタバレしている
というのが前提なのだけど(笑)。
人間への受け答えは人間のように自然。
だから人間を相手にしているような感覚。
けれど ひとたび故障のような反応をすると
機械相手のような感覚になる。
完全に壊れれば廃棄されるのだろうか。
アンドロイドは
うまく動いていれば人のように思える。
そうでなくなればモノなのか。
人間はどうなのか。
人間らしさとは、どんなことなのか。
らしさから外れた人間は、何になるのか。
そんなことを考えていた。
この演劇のアンドロイドは
人工知能を搭載されたものではなく
言葉や細かな動きはプログラミングされたもの。
それらが 見ている人を これほど
色々な気持ちにさせているのだと思うと
不思議な感じがする。
…………………
アフタートークも面白かった。
講演の話も交えられていて
次女も興味をもったようだ。
医療の現場での取り入れ方など、
今まで人間では難しかったり
労力の要ることを
ロボットが補えるようになり、
助かる人もいる。
それと共に、人間しかできないことも
あるはずで、それは何なのか
考えさせられた。
★以前の時の感想メモ
2016.2.18
さぬき映画祭にて
アンドロイド演劇「さようなら」
映画「さようなら」
2016.2.18
ノトスにて
アンドロイド演劇「さようなら」
ロボットワークショップ
2/25(土)
平田オリザ講演会
「変わりゆく つながり方」
於:坂出市民ふれあい会館
結構長く感想まとめていたけれど
手違いで全部消してしまって💦
ぱっと覚えてるのだけメモ程度ですが。
……………………………
これまでの講演で聞いたお話もあり、
おさらいにもなった。
今、求められている
コミュニケーション能力とは何か。
子どもを持つ人にとっては
いじめや、変わってきている受験にも必要。
医療や福祉に携わる人にとっては
社会的弱者に関わる時に必要。
海外に関わりを持つ人や
町づくりに関わる人も…
それこそすべての人に必要になる力。
けれど、
コミュニケーション能力は
単にうまくしゃべれるということ
ではなさそうだ。
日本人はコミュニケーションが
苦手だと言われているようだけど、
それはこれまでの文化的な背景が
もとになっている。
文化が違えば、同じことでも
真逆の意味合いになることがある。
なので、コミュニケーションの仕方は
文化が違えば様々なのだと分かった。
文化による違いは、善し悪しとか
優劣ではないということも。
ただ、よく似た文化だと
相手は分かっていると思いがち。
そのことで衝突が起こる。
相手の意図を汲み取らなければいけない。
でもそれは
相手に全て合わせるのではなく、
自分たちの文化を大事にしながら
どうやって他との関係を
うまく持っていくかというということ。
そのために
何が足りないものなのか、
一人一人に必要なもの、
長期的にみて何が必要なのか、
など考えていけばいいのだろう。
合意形成能力。
価値観がバラバラなまま
限られた時間の中でどうにか問題を
まとめていくことが大事だと思った。
協調性から社交性へ。
価値観をひとつにすることを目的にしない。
価値観は変えられない。
ただ、なぜそう考えるのか
思いやることはできる。
いじめのロールプレイでは
全く同じ気持ちにはなれないけれど、
共有できる部分を探して
それを増やしていくことはできる。
演劇という社交的な芸術は
そのための力を養うことも
できるだと思った。
…………………
以上、文脈が気になるけれど
取り合えずの感想です。