【8/15】★三女と高松、映画上映会へ。早めに着いたので、皆さんとうどん屋へ!/★上映会、その後に三女も挨拶/★ロケ地、白方の送り火は中止になったけど、海辺へ/★皆さんとお別れして高松へ。結局、三女の希望でマクドナルドで晩ご飯でし… twitter.com/i/web/status/8…
— 樹月けい (@kizukikei) 2017年8月18日 - 12:13
8/15(火) 映画「ある夏の送り火」
上映会後、ロケ地の海へ
この映画のきっかけになった
白方の送り火。
数年前に復活してから
毎年8/15に行われているので、
それを一緒に見に行く予定だったが
天候の関係で中止になって残念。
けれど、
せっかくなので海へ行ってみた。
そこで思いがけない出会いもあった。
カメラを持ったご夫婦が。
送り火を写真に収めようと来たけれど
やっていなくて残念そうだった。
以前、送り火の時
映画の撮影していた者だと伝えると、
その方もその場に居られたのだとか!
そのことで話が弾んだり
写真を撮ってもらったり。
喜んでもらえて良かった。
また、個人で送り火をされていた
ご夫婦も居られて
私たちも一緒に
お参りさせてもらった。
波打ち際にろうそくを立て、
打ち寄せられた小枝を集めて火をつけ
般若心経だったか、唱えておられた。
私も心の中で一緒について唱えながら
亡くなった義母の新盆を
2年前にしたことなど
色々なことが思い出された。
その方のことは何も知らないけれど
ただ、一緒に手を合わせることで
寄り添われているような
気持ちになった。
少し離れた場所では、
家族や帰省した子や孫だろうか
大勢で白い小舟を海へ流していた。
その賑やかで和やかな雰囲気も
いいなと思って見ていた。
みんなで一緒にゆっくりと
迎えたり送ったりする、
お盆が過ごせたらいいだろうな。
…………………
三女にとっては懐かしい海辺、
本人は頑張って演技した突堤。
意気揚々と突堤まで走って行った。
親子役の三人で
写真を撮らせてもらった。
三女は映画の中では死んだ子なので(笑)
それこそ生きていれば
あったかもしれない親子の姿。
そういえば、三女は
映画の続きがあったら、あの家族に
死んだ ゆうか( 自分の役の )を
会わせてあげたい
…というような話をしていた。
なので、そんな場面を想像して
本人の希望も叶ったのかな
と思って見ていた。
私も思わず付いていき、
水面で絶えず魚が跳ねるのを見たり
突堤に流れついた?
不思議なものを拾ったり。
( 昔、忍者屋敷で売っていた
自然物のまきびし に似ている。
検索すると、たぶん菱の実。
菱は池沼に生え、葉が水面に浮く
浮葉植物。
どこかから流れ着いたのかな )
あっという間に日は暮れて。
名残惜しくも白方の海とさようなら。
三女はインター近くのコンビニまで
監督の車に乗せてもらい、
そこでアイスを食べてお別れした。
…………………
監督をはじめ、集まった皆さんには
お世話になりました。
合間で、三女の書いたよく分からない
暗号のメモの解読にも
付き合ってもらい(笑)。
三女にとっても
楽しい一日になりました。
8/15(火)
映画「ある夏の送り火」上映会
香川産業頭脳化センターにて
12:45~
今回は、英語字幕入り。
初めにインタビュー映像や予告編、
監督の話があってから本編の上映。
上映後、
出演者や監督、脚本の堤さんより挨拶。
三女は、
自分も前に出るとは思っておらず
緊張しきりだったが、何とか一言(笑)。
前回の志度音楽ホールでは
500席が満席になる程、多くの人。
今回は会議室での上映で、
人数は少なめ。
でも、こっぽりと和やかな感じで
こういうのもいいなと思った。
……………………
私は何回か観る機会があったが、
その時々で、少しずつ
響くポイントが
変わったかもしれない。
映画の中のお話では
下の娘が亡くなり2年経っている。
小学生になった同学年の子に
偶然会って声をかけられる場面では
胸が痛くなった。
“ 生きていればこれくらい ”
けれど我が子は記憶の中の
2年前の姿のまま。
何もなければ我が子もランドセルを
背負っていたはずなのに。
悲しさや、
やり場のない気持ちを感じた。
子どもを亡くした人の気持ちは
きっと、分かりようがない。
けれど
生きていても色々なことがある。
思い描いていた道、
思いがけない道。
長く生きていればその分
分かれ道をいくつも通り
いつか遠く離れることもある。
人は皆同じではない現実を知る時
胸にわき上がる気持ち。
それは多くの人も同じかもしれない。
そういう意味では
観る人の境遇は違っても
それぞれの心に響くものが
あると思った。
………………………
それぞれの境遇や状況が違い
分かり合えないとしても
何かを共有したり
寄り添ったりすることはできるのか?
たぶん子どもの頃にも
そんなことを思ったことがある。
大人になった今も、
形は色々変わっても
そんなことを問われる場に
出くわすことが度々ある。
けれど、なかなか見つからない答えを
ずっと探しているような気がする。
答えではないけれど、そのひとつが
この「ある夏の送り火」
かもしれない。
色々な人の色々な思いに
寄り添える映画であってほしい。
自分の小さな日常も
大きな世界のことも
大人や子ども、この国や他の国
違っていても繋がる何かが
あると思う。
少しでも、そういうことを感じたい。
英語字幕の英語表現は
正直、英語にうとくて分からないけど(笑)
これがあることで、色々な人に届き
何かを感じてもらえたら嬉しい。
そんなことを思った 上映会だった。
この後、予定では
ロケ地の海で行われる
送り火を見に行くことになっていたが
天候の関係で中止。
しかし、せっかくなので
海まで行ってみることにした。
思いがけない出会いもあり……
長くなるので、それは 次へ。