樹月けい、オタク母のブログ。アニメ・漫画。お絵かき展示等。義母の介護終わり、義父のご飯お手伝い中。
4/7(日) お城へ花見
高くそびえる石垣の曲線、
扇の勾配と桜が、何とも言えぬ美しさ。
三女もデジカメを気に入り
あちこち撮っていた(笑)。
上りは、見返り坂から天守まで。
下りは、反対側へ。
搦手口(からめてぐち)側は
要塞みたいで変化に富んだ石垣群。
そこから上へと続く
石段のカーブが、きれい。
空間を見渡せる感じが面白い。
色々な桜が咲き乱れ、行き交う人も沢山。
うららかな お花見日和。
しかし意外と風は強く、
ハードコンタクトの私は
細かい砂埃に目をやられ(笑)
石段を下りるのも 一苦労だった。
春休み最後の一日。
次女は部活、長女も用事
それぞれ別に友達と花見は済ませ
今年は一緒ではなかったが
皆、健康で桜を見ることができて良かった。
最後に選挙へ行って終了。
会場で ずっと座って待機の方々には
何だか申し訳ないくらいの陽気。
連日よく歩いた。
昨日、ふと目にした
耳障りのいい言葉にえぐられる。
正論、まっとう、その通り。
だけど、感覚が、言うことをきかない。
何が幸せ?気づかないだけ?
そりゃ生きてるだけで幸せで、
食べられるだけで幸せ、かもね。
じゃ、過労自殺寸前の人や
酷いイジメを受けてる人は
紛争や飢餓の地域のことを思えば
幸せで、
それに気づいてないだけなのか?
気づかないからダメなのか?
気づかないから不幸せ?
気づいていても…
どうにもならないこともあるから
苦しいんじゃないかな。
感覚は変えられない。
考え方で多少変わることは
あるだろうけど。
免疫と似てるかも。
普通に免疫力があれば大丈夫でも
落ちている時には
命取りになること、ある。
そりゃ免疫つけることは必要。
そうしたい。
だけどそれが十分できない
場合だってある。
現実的に難しいこともあるだろう。
だったら、そのダメな状態を
それでもいいって言ってくれた方が
救われる。心に響く。
そこからなんだ。少しずつ一歩ずつ。
前向きな言葉を否定はしない。
きっと自分だって使うこともある。
だけど、時と場合と人によっては
逆にツラくなることもあるってことは
自分の胸に刻んでおきたい。
他の人はどうか分からないけど
少なくとも自分はそうだから。
失って気づく 当たり前の幸せは
文字通り、
失ってこそ気づくもの、かも。
そんな言葉をかけるべき人は
どんな人、どういう状況にある人なのか
よく考えてみたい。
すると、そうじゃない状況にある人もいて
そんな人が求めてるものは何なのか、
見えてくるものもある。
そんなことを言いたい、
けど言い出せない
チキンな自分……も否定しない。
ただ、ひっそりと書いておく、
それくらいならいいよね。
どうしても思い出してしまう自分の
心のさざ波を静めるために。