10/23 文化振興講演会
コロナ時代の文化と社会
「千と千尋の神隠し」で考える
労働を超える仕事とは?
講師:安立 清史 氏
( 九州大学大学院 人間環境学研究院 教授 )
ジブリ映画
「千と千尋の神隠し」
その中の色々な出来事は、
私たちの社会のことが
メタファーとなっているのではないか?
という話など。
ヒロイン千尋の
10歳の目線になって考え、
働くこと、
これからのことについて
問いかけられたような講演でした。
………………………
労働、仕事、活動
その違いは何だろう。
うどん作りも例に。
単なる作業、
金もうけだけじゃないもの。
美味しいだけなら
機械でもある程度はできる。
効率を考えれば
機械で安く大量生産も。
それだけではないものを
求めるから、
手打ちうどんを食べたい人がいて
それを作る人がいるのではないか。
話は『千と千尋の神隠し』へ。
始まりは 千尋の家族のお引越し。
そして、いつの間にか異世界へ
足を踏み入れてしまう。
それは、社会の
20世紀から21世紀への
大きな変化にも似ている。
国際化、
グローバル化の波に
私たちはいつの間にか
巻き込まれている。
千尋は名前を奪われた。
千という記号や番号のように
人間の個性ではなく
一人の人間としても見られない、
そんなふうに扱われる存在。
21世紀の私たちも、
知らず知らずのうちに
そういうことに疑問を抱かなく
なってしまったのではないか。
異世界は
時に魅力的な見た目で
私たちを引き込む。
しかしそこは格差社会。
支配する者とされる者、
それがハッキリとしている。
湯婆婆を頂点に
下々の者たちは
命じられるまま従い働くしかない。
その中では
独自性は邪魔なものでしかない。
名前を失うように
大切なものを失い
みな同じ…というように同化していく。
………………………
私たちの社会も
どこか似たような部分があると思った。
このままでいいのか?
単に他に従って労働するのでは
きっと心は満たされない。
もちろん、生きるために
お金や食べるものは必要だ。
しかし、それを得られるとしても、
自分の心を失うような状態で
まともに生きていられるのだろうか。
そこはバランスかも(笑)。
あまりにも
傾き過ぎているのなら、
もう少し考えてみなければ。
………………
質疑応答のところでも、
色々 突っ込んだお話があった。
現実的に
勉強になることも。
考えるだけでも
すごく頭はフル回転(笑)。
個人的には…
“ 変わるきっかけ ”のひとつとして、
死を意識することから
今をどうしたいかを
考えるようになったという
古賀さんの話が心に響いた。
↑
(宮崎の井上さんと共に、
いつもお世話になっている方)
先日の
青年団 公演『東京ノート』を観て
自分が考えていたことと
どこか重なる部分があったから。
安立さんが言う、
「千と千尋の神隠し」
「銀河鉄道の夜」に見る
生と死、
それだけではない第3の見方。
死を宣告された人の心の変化。
その段階の最後、
死を受け入れた時、
心の変化というものがある。
仕事や労働にも
似たようなことが
いえるのではないかと。
もうちょっとこうしたい…など
色々な見方が現れると。
見方が変わるだけで
何かが急に
好転するとは思えない。
ただ、
それは外から誰かに与えられて
変わる、というのではなく
自分の内側で気付き、
考え、行動に移ることで
現実として作用する、
そんな気がする。
正解はない。
何がその人にとって良いか、
たぶんそれぞれ違うから、
解、答えも
それぞれ違ってくるのだろう。
そういう意味でも、
問いかけられたものを
自分の中で考えたいと思った。
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