月下樹のおと

樹月けい、オタク母のブログ。アニメ・漫画。お絵かき展示等。義母の介護終わり、義父のご飯お手伝い中。

4月10日(水)のつぶやき

2019-04-11 05:33:11 | 日記等 未分類
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4/7(日) お城へ花見

2019-04-10 19:43:55 | お出かけ 旅


4/7(日) お城へ花見
高くそびえる石垣の曲線、
扇の勾配と桜が、何とも言えぬ美しさ。
三女もデジカメを気に入り
あちこち撮っていた(笑)。
上りは、見返り坂から天守まで。
下りは、反対側へ。

搦手口(からめてぐち)側は
要塞みたいで変化に富んだ石垣群。
そこから上へと続く
石段のカーブが、きれい。
空間を見渡せる感じが面白い。

色々な桜が咲き乱れ、行き交う人も沢山。
うららかな お花見日和。
しかし意外と風は強く、
ハードコンタクトの私は
細かい砂埃に目をやられ(笑)
石段を下りるのも 一苦労だった。


春休み最後の一日。
次女は部活、長女も用事
それぞれ別に友達と花見は済ませ
今年は一緒ではなかったが
皆、健康で桜を見ることができて良かった。

最後に選挙へ行って終了。
会場で ずっと座って待機の方々には
何だか申し訳ないくらいの陽気。
連日よく歩いた。
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4/10 耳障りのいい言葉

2019-04-10 09:53:27 | 感想★アート演劇 映画ドラマ アニメ等


昨日、ふと目にした
耳障りのいい言葉にえぐられる。
正論、まっとう、その通り。
だけど、感覚が、言うことをきかない。
何が幸せ?気づかないだけ?

そりゃ生きてるだけで幸せで、
食べられるだけで幸せ、かもね。

じゃ、過労自殺寸前の人や
酷いイジメを受けてる人は
紛争や飢餓の地域のことを思えば
幸せで、
それに気づいてないだけなのか?
気づかないからダメなのか?
気づかないから不幸せ?
気づいていても…
どうにもならないこともあるから
苦しいんじゃないかな。

感覚は変えられない。
考え方で多少変わることは
あるだろうけど。

免疫と似てるかも。
普通に免疫力があれば大丈夫でも
落ちている時には
命取りになること、ある。

そりゃ免疫つけることは必要。
そうしたい。
だけどそれが十分できない
場合だってある。
現実的に難しいこともあるだろう。

だったら、そのダメな状態を
それでもいいって言ってくれた方が
救われる。心に響く。
そこからなんだ。少しずつ一歩ずつ。

前向きな言葉を否定はしない。
きっと自分だって使うこともある。
だけど、時と場合と人によっては
逆にツラくなることもあるってことは
自分の胸に刻んでおきたい。
他の人はどうか分からないけど
少なくとも自分はそうだから。

失って気づく 当たり前の幸せは
文字通り、
失ってこそ気づくもの、かも。
そんな言葉をかけるべき人は
どんな人、どういう状況にある人なのか
よく考えてみたい。
すると、そうじゃない状況にある人もいて
そんな人が求めてるものは何なのか、
見えてくるものもある。

そんなことを言いたい、
けど言い出せない
チキンな自分……も否定しない。
ただ、ひっそりと書いておく、
それくらいならいいよね。
どうしても思い出してしまう自分の
心のさざ波を静めるために。

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4/6(土) 仏生山公園へ

2019-04-09 15:04:50 | お出かけ 旅


4/6(土)仏生山公園へ

撮影後 三女とお昼、
法然寺の上まで上がり
その後、隣の仏生山公園へ。

法然寺、敷地内の花販売コーナー。
上がる前、三女はそこに
手作りクッキーを置いているのを
チェックしていた。
私はすっかり忘れていたのだけど。

下りてきた時、無人販売になる時間を
10分ほど過ぎた頃。
小屋の入り口の幕は半分下りていた。
奥で店の人が片付け中。
三女、何としても買いたかったのか😅
迷わずその幕をくぐって
まだ買えますか~?と店の人に!😲

残っているクッキーの種類を聞いて、
2種類選んで購入。ほくほく顔(笑)。
お店の方、ありがとうございました✨
公園のベンチで一緒に食べた。

取り合えず、公園を一回りしてみようと
進んでいる時に三女、黒のらネコ発見!
いやいや、逃げるやろう…
というのも聞かず石碑の裏へと
姿を消したネコを追って
そろりそろりと近づいて。
落ちついたのか、
私のスマホを借りて戻り
ちゃっかり写真も撮ってきた。
片耳が切れていてかわいそう💦だと三女。
でも、後ろ側じゃなくて
前側をケガするのは
強い子かもしれないよ~と私。
ケンカする時、背中を見せてない
ってことだから、等々の話を。

そして親水広場へも。
石の舞台の真ん中に立ったり。
以前、秋のまつりで来たことがある。
賑やかな舞台になっていた所。
懐かしい。

しかし、三女が一番行きたかったのは
遊具の広場だったようだ(笑)。
たくさん子どもが遊ぶ中へダッシュ。
さすがにその頃には私も疲れ、
じっと立って待っていられない。
近くのベンチは満席で、
少し離れたベンチを見つけて休憩。

しばらくよく遊んでいた。
子どもは元気だなぁ。私はもう
他の桜を見て歩く元気はなかったので
周囲の人間ウォッチングをしていた(笑)。
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4月8日(月)のつぶやき

2019-04-09 04:55:30 | 日記等 未分類
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4/6 (土) 仏生山の法然寺へ

2019-04-08 18:43:08 | お出かけ 旅


4/6(土)撮影後、
三女とお昼食べて仏生山へ。
法然寺。こちらも桜満開。
狭く急な石段、
三女は先にさっさと上まで💦
来迎堂から更に上、般若台という墓所へ。
どこの石段も、
長年の雨風などで削られて、
その凸凹に歴史を感じる。

墓塔222基と書かれていた通り、
見渡す限り墓の群れ。
上へ上へと続いている。
そして写真には上手く撮れていないが、
墓所はたくさんの桜に包まれていて。
遺跡や異世界に迷い混んだような感覚。
高い場所、人もまばらで静か、だからか。
でも落ち着く。
ソロ花見にはいいかも。
墓だけど(笑)

そして下り。これは手すりが必要。
私の足でも、ギリギリの幅。
少し斜めに足を置かねば危なさそうで。
よその神社仏閣等とはちょっと違うかも。
いつ頃からこの石段はあって、
その頃の人は
どんな時どんな風に
上り下りしてたんだろう。
そして現代もこんな風に
人が歩いているなんて
その頃の人は想像しただろうか、
なんて思った。

そんなこんなで、ちょっとしたトリップ。
岩場をよじ登る寺もあるけど、
こういう場所には、日常の感覚から離れる
仕掛け…というか
要素が備わっているのかも。
そんなことを考えたひとときだった。

そして、三女に付き合い、次は隣の
仏生山公園に向かうのだった(笑)。
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4月7日(日)のつぶやき

2019-04-08 05:00:56 | 日記等 未分類
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4月5日(金)のつぶやき

2019-04-06 05:00:55 | 日記等 未分類
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4月4日(木)のつぶやき

2019-04-05 04:56:43 | 日記等 未分類
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4/4 『約束のネバーランド』原作を読む

2019-04-04 18:28:54 | 感想★アート演劇 映画ドラマ アニメ等


4/4 約束のネバーランド原作を読む

『約束のネバーランド』遅ればせながら、次女から原作借りて読んでいる(貸していた友達からかえって来たということなので)。物語の中の子どもたち。大人が思うよりずっとたくましい。その潜在能力に驚かされる。

ふと集団の怖さと良さを思った。幼児教育の中で、思い知らさせたことがある。偏った大人の考えや価値観が集団に蔓延する。自分の大きな反省。しかしその逆もある。個での育ち以上に、集団の中での育ち合いが、全体を底上げするようなことも。大人一人が関わる限界を超えて、子ども同士の相乗効果。特別な賢い子、だけじゃない、意欲や自信や思いなど…人を動かす大きな力があることも。
物語の切迫した状況にあって、動き出す子どもたち。これは極端な世界どけど、現実に通じる要素はないだろうか。可能性を信じたくなる。

次女は初版でコミックを買っている。読んでいたであろう時期、家の大人達は大変な頃、私も谷底で、姉も同じ。次女は学校で、苦境にあって、この物語は何かの支えだったかもしれない。彼女がどんな思いでこれを読んでいたのか……それを思うと、今更だけど胸が痛くなる。結局次女はその頃、親に相談することはなかったから。

けれど諦めず、抗って、考えて、立ち回った次女の底力に感服。そして、窮地にあっても次女に手を貸してくれた子も存在したことに感謝。現実もある意味、命懸け。一見、目には見えない場所で闘っている子どもたちもいるだろう。立場や年齢や境遇は全く違うけど、それぞれの置かれた場所で懸命に生きる人たちを思い、胸が熱くなった。

これで最後と思った先にもきっと道がある。自分だけなら、諦めて楽になりたいと思うくらいの絶望の淵。けれどそれでは共倒れになってしまう仲間がいる。そして無念にも生を全うできなかった仲間の為にも、何とか踏みとどまりたいと思うのだろう。自分が生きることで得られるものがあると感じられれば、奮い立つことができる。少なくとも心動かされた物語には、そんな力や命が宿っているような気がする。
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