先日の続きです。2日目の午前中にお寺さんに行く約束でした。
ホテルを出て駅前を通ると、「彌生ちゃんバス」が走っていました。水玉模様で有名な草間彌生さんは松本市の出身です。このバスを見ると、何だか楽しくなります。
彌生ちゃんバス「草間彌生 水玉乱舞号」
東西南北の4つのコースがあり、松本駅からあがたの森公園、松本美術館や旧開智学校など松本市内をめぐるそうです。乗ってみたいですね。
さて、駅からこまくさ道路を北上してお寺に向かいます。お寺は細い道を西側に登った高い所に有ります。昔通った道を登ったら行き止まりで、全然景色が違っていました。慌てて戻ってお寺に電話したら、もっと先の私の出身高校の近くに新しい道が出来ていることが分かりました。3年ぶりですから色々変わっていて、驚きました。すれ違いが出来ないような細い急な道を登って、やっと着きました。
正安寺 お寺の写真を撮るのを忘れたので、これはネットからお借りしました。
このお寺の片隅にお地蔵様がおわします。
このお地蔵様は以前も見て、その由来は知っていたのですが、説明版をよく読んだら…
北条政子が、源義高の霊を慰めるために贈った物だことは知っていましたが、何故松本に?と思っていました。彼は松本の「清水屋敷」で生まれたのですね。母親は巴御前!?本当でしょうか?
ある文献によると「義高は松本市清水で誕生し、同地の槻井泉(つきいずみ)神社のこんこんと湧き出る泉を産湯の水としたので清水義高と名付けられたという。母親は巴御前とも山吹姫ともいうが定かではない。」だそうです。
今テレビで放映中の「鎌倉殿の13人」では巴御前が義高の母親という設定ではありませんね。人質として頼朝に差し出された義高を、婚約者として慕っていた大姫。父親の命で彼が殺害された時の悲しみはいかばかりだったでしょう。彼女はその後病となりこの世を去りました。義高の母親にお地蔵様を贈って弔ったのは、政子が母として大姫と義高を憐れんだ気持ちの表れだったのでしょう。
今放映されている大河ドラマと関係あるので、どうしてもこのお地蔵様をお見せしたかったのです。
ご住職へのお願いも快諾して頂いて安心しました。
正安寺から見た東山。 中央左から袴腰山、王ヶ鼻、茶臼山。写真の一番手前の建物が私の母校です。
松本市内 画面の右から1/3位の山すそに塔のような物が見えますね。その左下手前に松本城が写っています。
この後、安曇野市の御宝田遊水地に向かいます。長くなるので今回はここまでに致します。
ご訪問有難うございました。
そろそろPCを閉じようと思ったところに新投稿発見!
今度は一番狙います!!
ということで拝見~
まずはトップのバスに度肝を抜かれました。
最初はさざんかさんがバスに後から水玉を付けられたのかと思いましたよ(笑)
本当に走ってるんですね!
正安寺のお地蔵様の由来、詳しく説明いただいたのでよく分かりました。
なるほど、夫頼朝の命で非業の死を遂げた源義高の霊を慰めるために北条政子が贈ったお地蔵様なのですね。
大河ドラマファン必見ですね!
それにしてもすごく厳重に守られていますね。
それでお衣装の赤い色が残っているのでしょうか・・・
この後、安曇野に行かれたのですね。
楽しみにしています!
こちらに先にお返事書きますね。
彌生ちゃんバス、面白いでしょう?
見ると嬉しくなってしまいます。
松本~新宿間の高速バス、もっと凄い模様の彌生ちゃんバスが1台だけあるようです。
それは見たことがありません。
生安時のお地蔵様、何度も見ていたのですが、詳しい説明をしっかり読んだのは初めてです。
松本に源義高が生まれた屋敷があったとは知りませんでした。
大姫の悲しみが伝わってくるようなお地蔵様です。
今回の大河ドラマはどんどん人が殺されて、恐ろしいですね。
安曇野は…池と書いたので、何が出て来るか想像がつくと思います。
次回に下手な写真をご覧下さい。
と言ってもなつみかんさんに見られるのは恥ずかしいな~。
結構高いところにお寺が移転したんですね。あのあたりは入り組んでいて大変だったでしょう。
「わたしの母校」・・・・・。
天気が良い日に帰省できて良かったですね。それにしても山のなまえを色々覚えているんですね。私は美ヶ原しか名前を知りません。
穂高のワサビ畑を訪れる予定とのことですが、あそこからは北アルプスがきれいに眺められます。左手(南)に乗鞍・上高地、それから・・・年のせいか他の山は忘れました。北側にある白馬・槍ヶ岳などを見るのはちょっと位置的に無理があるかも知れません。大王ワサビ農園は以前に脱税をしましたが、追徴金を2億円いくらかをキャッシュでど~んと即金払いしてその件でも新聞を賑わせたことがあります。でも、いまでも山葵畠はきれいな伏流水がながれていましてとても素敵な場所です。とりわけ桜の時期には・・。秋の紅葉はあまり無かったような記憶ですが、定かではありません。
楽しい松本市郊外の安曇野行をご堪能ください。安曇野のアップを心待ちにしております。
本日は深夜便ではなく最終便でお届けできました。おやすみください。
おやすみください。
お寺が移転したのではなく、道が変わってしまったのです。
以前はもっと南の細い道から登れたのに、そこが行き止まりになって、母校の西側辺から入れるようになりました。
やっぱり細い道ですけど。
この後行ったのは大王ワサビ園ではありません。
あそこは数回行ってます。
ちひろ館も。
御宝田湧水池、ご存じですよね。
次回をお楽しみに、なんて大袈裟でしょうか。
おやすみなさい。
国道19号線を北上して、塔の原を左折、犀川の橋の手前を左折してすぐです。
分かりにくい所すぐです。
次回をご覧下さいね。
ご紹介、ありがとうございました。
いろいろ情報交換できる、ブログでのコメント交流、いいものですね。
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正安寺のお地蔵様のこと、詳しく教えていただきありがとうございました。
高校時代に日本史を学んだものの、その後すっかり忘れてしまいました。
それでも、今回の大河ドラマは面白いですね。毎回観ています。
さて、源義高は松本で産まれたのですね。清水冠者と称されるいわれも分かりました。
母親が誰かは、説が別れるようです。古いことなので歴史に埋もれてしまったのでしょう。
鎌倉へ養子に行ってからは、幸せな日々を送ったようですが、最後は不幸な死に方をしました。
北条政子はそれを悼んでお地蔵様を贈ったのでしょうね。あるいは祟りを恐れてのことかもしれません。
歴史に疎い私ですが、木曽義仲のことは実家の近くが古戦場だったので、多少覚えていました。
義仲が平家軍と戦った古戦場が実家の近くにあります。平家軍の斎藤実盛の首を洗った、首洗池も残っています。
今は観光地のひとつになっています。
この後は安曇野へ行かれたようですね。何度か行ったことがあります。
最近出かけたのは、常念岳に登ったときでした。松本市内からもよく見える山だと思います。
山がある風景、いいですね。
十年一昔といいますが、街の変貌ぶりはすさまじい勢いで進んでいるようですね。
街は変われど、山々はいつまでも変わらずで、ホッとするものがありそうです。
境内からの眺望も素晴らしいです。
母校の校舎を眺められて、青春時代の思い出も蘇ったのではないのでしょうか。
知らなかったら、???って感じます。
それでも、草間彌生さんは松本市の出身なんだと聞くと納得するんですから、
私も単純です^^;
鎌倉殿の13人、
それにしても、毎週のように、裏切りとだまし、争い、
日本もこんな時代が有ったんだと、感じながら、
時代劇らしくないストーリーと演出なんですが、これも三谷幸喜マジックと楽しんでいます^^;
久しぶりの故郷、
楽しまれているのが伝わってきます^^