今年の6月と7月に歴史講座で行った「水戸八景」を車で巡った。
「水戸八景」とは旧水戸藩内の八つの景勝地で、天保4年(1833)九代藩主徳川斉昭公が中国の瀟湘(しょうしょう)八景にならい選定しました。 八景を一巡りすると約20余里(約80km)を越えるほどの距離です。でも、当時の健脚の人は一日で巡ったということです。
本当にこれほどの距離を1日で巡ることができたのか知りたかった。
常陸太田市の「山寺晩鐘」から開始し、「太田落雁」、「村松晴嵐」、「水門帰帆」、「岩船夕照」、「広浦秋月」、「青柳夜雨」、「仙湖暮雪」の順で巡った。
山寺晩鐘→(2.2k)→太田落雁→(16.4k)→村松晴嵐→(14.3k)→水門帰帆→(3.1k)→岩船夕照→(10.2)→広浦秋月→(15k)→青柳夜雨→(3.5k)→仙湖暮雪→(25k)→山寺晩鐘
今日は国道等を通過したため当時の道とは違っていると思われるが、距離の合計は89.7kとなった。
如何に健脚とはいえ、この距離を1日で歩くことが本当にできたのか。
マラソン選手はフルマラソンを約2時間余りで走るが、これは例外。
車で巡っても、正味3時間はかかった。(今回は撮影日時を写し込んだ)
結論は「1日で巡ることができた人はいるだろうが一般的には2日ほどかけて巡ったのでは」だ。
山寺晩鐘
太田落雁
村松晴嵐
水門帰帆
岩船夕照
広浦秋月
青柳夜雨
仙湖暮雪
途中、大洗で海鮮の昼食をとったり、涸沼では名産の「シジミ」を購入したり、鹿沼から「ハゼ釣り」に来た方と雑談にふけり水戸帰着が午後4時近くになってしまった。
昔の人もそんなに早くは巡れないと感じた一日だった。
「水戸八景」とは旧水戸藩内の八つの景勝地で、天保4年(1833)九代藩主徳川斉昭公が中国の瀟湘(しょうしょう)八景にならい選定しました。 八景を一巡りすると約20余里(約80km)を越えるほどの距離です。でも、当時の健脚の人は一日で巡ったということです。
本当にこれほどの距離を1日で巡ることができたのか知りたかった。
常陸太田市の「山寺晩鐘」から開始し、「太田落雁」、「村松晴嵐」、「水門帰帆」、「岩船夕照」、「広浦秋月」、「青柳夜雨」、「仙湖暮雪」の順で巡った。
山寺晩鐘→(2.2k)→太田落雁→(16.4k)→村松晴嵐→(14.3k)→水門帰帆→(3.1k)→岩船夕照→(10.2)→広浦秋月→(15k)→青柳夜雨→(3.5k)→仙湖暮雪→(25k)→山寺晩鐘
今日は国道等を通過したため当時の道とは違っていると思われるが、距離の合計は89.7kとなった。
如何に健脚とはいえ、この距離を1日で歩くことが本当にできたのか。
マラソン選手はフルマラソンを約2時間余りで走るが、これは例外。
車で巡っても、正味3時間はかかった。(今回は撮影日時を写し込んだ)
結論は「1日で巡ることができた人はいるだろうが一般的には2日ほどかけて巡ったのでは」だ。
山寺晩鐘
太田落雁
村松晴嵐
水門帰帆
岩船夕照
広浦秋月
青柳夜雨
仙湖暮雪
途中、大洗で海鮮の昼食をとったり、涸沼では名産の「シジミ」を購入したり、鹿沼から「ハゼ釣り」に来た方と雑談にふけり水戸帰着が午後4時近くになってしまった。
昔の人もそんなに早くは巡れないと感じた一日だった。