詩歌探究社 蓮 (SHIIKATANKYUSYA HASU)

詩歌探究社「蓮」は短歌を中心とした文学を探究してゆきます。

ぼくの吉野家牛丼論

2019-03-04 18:18:12 | 千駄記



とある九月土曜十五時吉野家に俺には俺の食い方がある

このうたは、十年以上前に出した
第一歌集『解体心書』から抽きました。
お恥ず歌集ございますが、この記事には
相応しいかなと思いまして。

吉野家が28年ぶりに牛丼の大きさを変えた新メニューを加え
従来より大きめの「超特盛」と小さめの「小盛」が加わり
これまでの「並盛」「アタマの大盛」「大盛」「特盛」の
4種から6種に増える。


と、ネットニュースにありました。

ぼくは牛丼チェーンでは吉野家派です。
とは言ってもひと月に一度食べたくなる程度。
持ち帰りの場合は一個というわけにはいかないので
なるべく店で食べます。一個を持ち帰りになんか
してごらんよ。店員はきっと「あら、この大きなおじさん
寒くて暗い部屋に帰って電気ストーブの前で
顔だけ火照らせながら一人ぼっちで牛丼食べるのね」
って、思うに違いありません。
よって持って帰りたい場合は
二個以上買わなければならないのです。
すると二食連続で吉野家となりそれはそれできつい。

というわけで、やむを得ず店内のカウンター席に
腰かけて「特盛と玉子」と遠慮がちに小声で言います。
こちとら小声で言ってんのに店内には威勢のいい声が
「特盛一丁!玉子一個ぉ!」と響きわたるのです。

で、「オレの喰い方」は特段変わっていませんが
七味の蓋をくるくるっと外して大量にかける。
吉野家の七味は辛くありません。
で、玉子を醤油で解いてから、牛丼の真ん中に窪みを作って
それを流し込む。しばらくは玉子かけご飯を楽しんで
全体を食べてゆく・・というものです。
その間、どんぶりから目を離さず食べます。
人目が怖いからです。

それにしても従来の牛丼メニューにしろ、
今回の「超特盛」とか「小盛」とかって言いにくいよー。
そもそも「並盛」って差別用語じゃないか?
ほんとは「アタマの大盛」を食べたいんだけど
みなさんはそんな固有名詞を言えますか?
店員はきっと「この肉好きジャンボガイが!」
と思うに違いありません。

勘弁してほしいわ。命名にセンスがない!
そもそもこんなジャイアントガイが
「超特盛」なんて言えますか。
口に出したくないからといって、
メニューを指さしたところで
店内には「超特一丁!」と響き渡るに決まってます。
しかも店員に「いくらなんでも食べ過ぎですよ」って
思われるに決まってるわけです。
逆に、こんなビッグガイが「小盛」って呟いてもみなよ。
「ダイエット中でありながらどうしても牛丼が食べたいのね」
って絶対、店員に思われるわけですね。
哀しいラージガイの物語なのです。

ぼくの甥っ子は会話が嫌だからと
食券式の牛丼屋に行くそうです。
確かに食券を出せば「超特盛と玉子」って言わなくて済みます。
しかし、食券を受け取った店員が厨房に向かって
「超特一丁!!玉子いっこー!」なんて叫ぶに決まってるので
意味ねーし!

メニューを英語で言ったらどうか?
「並」は「レギュラー」・・うん、いいんじゃない?
「大盛」は「ラージ」・・これもまあどうにかギリ!
「特盛」は「スペシャルラージ」・・あかん。
「アタマの大盛」は「ヘッドオンリーラージ」・・全然ダメ。
「超特盛」は「スーパースペシャルラージ」・・なげーし!
名前が長くて辱めを受ける時間が長くなる一方だ!
「小盛」は「リトル」・・・やっぱりだめだ。

ぼくの吉野家牛丼論を終わります。



欲されない幸せ。

2019-03-04 12:30:00 | 詩歌探究社「蓮」情報


五月人形居並ぶ陰に売れ残る幸いあらん雛は頬笑む

ひな祭りの繁忙期を過ごした人形店は
すぐに五月人形の賑わいとなる。

旧街道をゆくと人形店が並ぶ界隈がある。
朝から雨のせいか祭りの後の静けさ。

それにしても人形店というものはよくもまあ
経営が成り立つものだといつも感心する。
少子化によってこの業界がどうなってゆくのか
他人事ながら心配したりもする。

旧街道沿いの人形店はどこも概ね
伝統と格式のありそうな店構え。
購入する側とすればできればそんな店でと思うのが
祖父祖母心なのだろう。

縁起物だから安ければいいというものでもなく
この業界だけは中古店が繁盛するなんて聞いたこともない。

ショーウィンドウを占めていた雛人形は
跡形もなくいまは五月人形が闊達に
睨みを利かせている旧街道。
売れ残った雛はどうなるのか知らないが
微笑を湛えていて、それをみると
切ない気もする。

しかし、誰からも欲されないという
しあわせの形もあるのではないか。
そんな気がした。



青春の夢と耀く短歌の光

2019-03-04 00:58:01 | 千駄記


いつしらに叶いしものか青春の夢と耀く短歌の光

小雨の一日でした。
近頃音楽を聴いていてつい眠るのが遅くなる。
今日は短歌の仕事で都会へ出た。

アイホンに変えてから音楽のダウンロードを覚えた。
附属のイヤホンで聞きながら電車に乗った。
私は昔、電車で他人が聴く音楽の音漏れが
不愉快でならなかった。
シャカシャカシャカと他人の迷惑を知ってか知らずか
っていうのが嫌だったのだが今は音漏れなんか
しねーのな。技術の進歩。

本日は一応の仕上げとなる為、覚悟して出かけたが
思った以上に捗り、遅い昼食をまたまたご馳走になり
その後はこれからの工程を打ち合わせて
夕方には終了。帰りにまたサシで酒を酌む。
初めてのお店だったが骨酒がメニューにあって、
一瞬見つめ合い「コレにしようか」と気が合う。
私は生きて半世紀。骨酒にだって思い出はある。
そんなことは語らずに味わう。

身辺の話題を語る。短歌を少々まじえながら。
また、ご馳走になった。ありがたし。

短歌とはやはり、かなしき玩具であり
悲しく、愛しく読むものである。詠むものである。

酔っぱらって帰ってソファで寝ていた。
眠っているとダメ人間になる。
目覚めてから、とある歌人の短歌をいくつか探し
メール送信して今となる。

火のない部屋は今時分になると冷え込む。