詩歌探究社 蓮 (SHIIKATANKYUSYA HASU)

詩歌探究社「蓮」は短歌を中心とした文学を探究してゆきます。

短歌は頓智やクイズではない。

2019-03-26 12:03:17 | 千駄記


わたくしが言わるるままに遠くなりゆくを黙りて見送る歌会

短歌の世界には歌会というものがあります。
「歌会」を「かかい」と読むこともあります。
私は歌会というものの本当の姿を知りません。
私が経験したこじんまりとした歌人の集まりは
1.かつて所属していた「開放区」の合評会
2.かつて主催したパンドラ歌会
3.いま講師をしている野蒜短歌会
4.事務局をする板橋歌話会
程度で、歌会と呼べるものはパンドラ歌会くらいでしょうか。
事前に無記名の詠草集を配付し、それぞれの作品について
選歌した作品の感想を述べてゆく。
その間、作者は黙って聴いているわけです。
特に初心者で多いのが批評されているうちに
黙っていられなくなるというものです。
「これ、私の歌なんですが」というパターン。
白けます。
また、選歌の理由に「わかりやすかったから」というのも
白けます。わかりやすいのが正義なら
短歌ではなく散文を書いたり読んだりすれば良いわけです。

歌会において作者である自分の意図とはまったく
違った読みをされることがあります。
そんなときも黙っているわけで種明かしもしませんが
作品を発表したら、その作品は作者のモノではなくって
読者のモノになる。ゆえに黙っていろという物言いには
反対です。読者にゆだねるなんていいますがご免なのです。
作品は作者のモノです。
その読みが違っている場合は作者か読者のどちらかに
何らかの責任があるわけです。
これは短歌作りの課題でしょう。

私が唯一言えるのは
短歌は頓智やクイズではないということです。