☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
☆記事・写真などの複写・転載はご遠慮ください

「5月16日(続き) 芳殿、吉村お仙殿、そして久良殿との再会に!」

2020-05-16 12:53:52 | 『都見物日記』

 今日から第七章ですが、前章十六日の続きで、佐土原島津氏お染様に続き、佐原芳殿がお土産を携えて京橋区加賀町の和田いく宿屋へ参られて‥‥‥

 

『都見物日記』(七)‥‥ ①

 五・一六(つづき) 夕方迄はなし 母どのは早くくれぐれに帰られ候。芳殿はゆるゆるとはなし居り候ところ 大村の方お出の事にて又少しひま取り、又どうどう(同道))にて芳村お仙どの方へ、途中は皆々てなみ(←※傍点有り) 此方三人、芳と四人連(ヅレ)にて尋ね行き、又これも大喜びの事。 煙草、玉子箱、この二品遣わし お筆殿へお逢申上たることうれ敷との事。 いろいろ馳走に相成り 又かとおみや品くれられ候て、十時頃には内に帰り候得ば、思い掛けなく久良どの此所の宿へ参られ お互只々大喜び申し、夫から茶飲み菓子などたべ 久々に珍らしく話致し、三人とも喜びで話し也。 今晩は四人とも此座にいね ゆるゆるとはなし候 

  (久良氏は筆者(※=川上いさ)の令息)

 

 「母どのは早くくれぐれに帰られ」とあるのがよくわかりません。。川上の母様の事だと思うのですが‥‥。

また、「大村の方」がどなただかわかりません。。以前出てきた?いや、出てきませんが、長崎の大村の人?

 芳村お仙どのが「煙草、玉子箱、この二品遣わし お筆殿へお逢申上たることうれ敷」とおっしゃったという事だと思うのですが、お筆どの(イサの妹で、轟の次姉)にお逢い申し上げるのは、お仙殿?(この辺り読みこなせない〜〜

 「久良どの」はイサさんの長男で、曽祖父・轟の甥。

久々に会って大喜び、ということは、鹿児島から出て暮らしていたという事でしょうか?

事情がわからないので、ここはそのまま受け止めます。

ともあれ、大喜びの様子、こちらにも伝わってきますね 

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「5月16日 島津お染様、 佐原芳殿、 お出でにて」

2020-05-16 12:35:54 | 『都見物日記』

 昨晩は九良賀野の「辰様」に銀座でご馳走になったイサさんたち、東京滞在の時も残り少なくなりました。

 

『都見物日記』(六)‥‥ ⑤

 五・一六 今日も六時に起き、天気は先ずよし。八時に飯、何かと今日はせわせわ敷 夜前(※ヤゼン=昨晩)より色々の片付、荷造りおかか様とおわさ(←※傍点有り)いたし、何もいろいろ片付いたし候也

 十二時頃に島津お染様、いろいろおみやものお持ち越しにてお出にてうれ敷、色々お話し致し 二時頃お帰り遊ばされ、私共三人 昼飯にそばたべに行き 直(スグ)と帰り候得ば、佐原よし殿、母と同道にて参られ、これ又みやげ物持ち越しの事に候得ば、轟殿 着物一枚下され大喜びに候(十六日の分つづく)

  十七日休養、十八日新橋発 横浜へ(若)

 

 佐土原島津氏のお染様、この日わざわざお土産を持って京橋区加賀町の宿屋までお出でになったようで、イサさんも本当に嬉しそうですね

 入れ替わりで午後にお出での佐原芳どのは、6日の日記に登場し、9日午後には宿屋まで来られ夜8時までお話されています。この日は轟に着物までお土産として下さって、一体どういう方なのでしょうね?

 次からは第七章。16日の続きから始まります

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「5月15日 増上寺黒本尊前の通りでお買い物、夜は辰様と銀座の千歳で」

2020-05-15 18:59:34 | 『都見物日記』

 午前中、増上寺の辺りでお買い物。午後は従兄弟の九良賀野辰彦さんがお見えになります。

 

『都見物日記』(六)‥‥ ⑤

 五・一五  今日天気よし。六時に起き早めしたべ、八時過に轟どのは電信局へ日本橋近辺まで出掛けられ、御母様、私は留守いたし候得ば、薩摩屋のもの参り、彩色絵十枚計り御みや用に差上ますと申してくれられ候事也。右の人は鹿児島の上町 堂の前煙草屋の嫡子にて有之との事。暫らくは かたり申候也。

 十一時過に今日は増上寺黒本尊前の通りには、御門涯(ギワ)よりいろいろの店出(イデ)賑々敷所也。其前の勧工場に出掛候。何も買わぬ考えにて候ところ 左様まいらず、ちんちんと何かと買入れ候処、只今四円はすべて払い 少々の品に驚きかえり、轟殿より一円が以上、それも右買物品にはらい、帰りの上に轟殿へ算面致しもらい候得ば、とり入品物と金とガッツリに候也。ちんちんの事に実に実におどろき候也

 今日はめし お昼は神明きわの茶屋にて鰻たべ 爰(ココ)にて亦(マタ)酒のみ候。夫から内に帰り 荷物こばめ(※傍点有り)など 皆々いたし候得ば、隣のもの薩摩屋と申す人参られ、今晩は義太夫に御出遊ばす事はできませんかと申参り、茶などのみおり候処に、九良賀野辰彦さんお出に相成り、已(※スデ)に御出発が近寄りはせぬかと思うて参りましたとの事。何かのお話も有之候に付、今晩は辰様に御馳走に 銀座の千歳と申す料理屋へ夜食たべに行き候故、義太夫聞きはとしまり(※傍点有り)不申、それにて薩摩屋の者は早く帰り、御茶屋へは四人連れにて候。十時過 内へ帰り、辰様は通り町より分れ申候也

  

   

 東京までの道中、(↓)兵庫・神戸で泊まった宿屋の名前が「薩摩屋」だったので、混乱しそうですが(→ 「4月21日 兵庫着、神戸楠公社参詣」)、「右の人は鹿児島の上町堂の前煙草屋の嫡子にて有之との事」とありますね。

「上町の堂の前」‥‥ 上町で「堂」というと、以前町巡りした時に見た「仁王堂水」を思い浮かべるのですが、違うかな?

    

 ☆ 鹿児島市清水町の 「仁王堂水」  

 「勧工場」とは何でしょうね?「勧業」‥‥「工場」? 

増上寺門前のいろんなお店が賑わっている様子、買い物をしないつもりがそうもいかず、と正直ですね(笑) 思いの外少しの品で高額になり、弟・轟に都合してもらったようです。

 朝方「彩色絵」を10枚ほどおみやげ用にと呉れられた「薩摩屋」の方が、夜は義太夫へとお誘い下さったものの、従兄弟の「九良賀野辰彦」さんが「そろそろ東京を発たれるのでは‥‥」と宿屋へ来られたために、薩摩屋さんの方はお断りし、この夜は銀座の「千歳」で辰様よりご馳走頂いた、と。

九良賀野辰彦さんは(↓)5月2日に宿屋へ参られたのが初登場。

 「5月2日 新橋松元屋から 京橋区加賀町へ宿替え 麻布永坂島津氏お染様の所へ」

 

追記:「上町 堂の前」についてわかったこと↓がありましたので別途書きました('20. 5.26)

「堂の前」、、、とは?!

 「仁王堂水」とは別の通りの名前でした 

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「5月14日 向島、堀切の菖蒲、桜馬場」

2020-05-14 18:32:40 | 『都見物日記』

 向島は↑画像右上。お宿は京橋なので、地図よりもっと南側。

 

『都見物日記』(六)‥‥ ④

 五・一四  今日は天気にて六時に起き、本日は富士山を見に参るつもりにて早くしまい候得共、少々ふじの方へ曇りがかかり、天気はよく候得共 これでは富士は見えませんと皆々申、ふじ見はとしまり(←※傍点有り)不申、八時過より向島の辺へゆき 堀切のしょうぶ見に出掛け、これも感心の所有之、桜馬場 とても長さ実に感心の事。堀切のしょうぶの所には ちんと数寄屋風の座敷有り、其れが十五、六軒、間には四帖半が三座も有り、景色宜敷也。

 三時頃に途中にて昼めしたべ、ちんちん帰り、又馬車にのり新橋迄のり 内へ帰り付候得ば、轟殿は電信局より電信届きおり 又すぐ 其事にいでられ候。御母様はすぐお昼寝遊ばし、私は風呂に入りに行き候。夕暮より三人とも内也。夜食たべ ゆるゆるとして早くいね申候。

    

 

 5月6日に登場する「佐原芳どの」、画像で↑偶然にも向島百花園を造園した人が骨董店経営の「佐原何某」という名前で驚いた!

 富士山が雲に隠れて見られなかったようですね。残念〜 でも桜や菖蒲園が見られてよかったよかった

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「5月13日 轟殿は電信の事、有川様が二度登場」

2020-05-13 18:07:50 | 『都見物日記』

 日光山参詣から帰った翌日の日記です。

 

『都見物日記』(六)‥‥ ③

 

 五・一三  今日雨少しふる。六時おき茶のみ、轟殿は電信の事に付(ツイ)て八時ころよりいで 外にも用事ありたる事御母様、私 留守にてお風呂入りに行き、それより十二時比(ゴロ)に昼飯には両人連れにてそば食べに行き帰りがけ陶器少し御母様と買い 内へかえり、久々にて今日はゆるゆると有之候。ぜんぜんと雨強くせわしき事也

 御母様と談しするには、鹿児島へ帰りには船に何かコンダ(今度は)食べ物をちんと持ちて行きますがなあ、はりはりしそうな物が好(ヨ)う御座りましょうな、此節帰りには決して酔いはしませんとな、など両人にて談にて候

 昼頃に轟殿かえり今日は有川様へゆきて昼飯は松田料理屋にてたべたとの事それより三人とも昼寝して五時迄ね、今皆々起きおる処に有川氏 此方(コッチ)へお出にて今晩は夕めし御相手お願申上度との事にて、私迄も同道いたし 鰻にて飯、酒など御馳走の事にて候。八時頃には帰り 内にてゆるゆるとやすみ候。夕方より雨もやみ候

 有川様は、5月4日に初登場しています。銀行にお勤めの方のようで、

西田の有川さんと申 銀行へ出る方」と書かれています。 → 「5月4日 京橋の涯 松田屋と申所へ」

 おととい、昨日と日光山参詣で遠出をされたので、この日はゆっくりと過ごされたようですね

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「5月12日 日光より宇都宮まで参り〜東京へ帰る」

2020-05-12 18:42:56 | 『都見物日記』

 前日は上野から日光まで移動し、宿屋に一泊。今日は日光山参詣に

 

『都見物日記』(六)‥‥ ②

 五・一二  今日も天気よし。早目に神山と申す宿屋出たち、七時日光山社 御はい殿色々の御結構のお宮又三代の将軍様御墓、これも誠に何とも御結構也、此内にお寺も有り。また日光山迄行く途中の両脇に大きな杉樹たち 又、六七里は松と杉、途中もじつに感心也。渺(ビョウ)地野原、くのき山、小松山 限りなし、ひろき事呆れ候也

 十二時頃迄あらまし済ませ候也。少々雨もように相成り、夫より又 神山徳兵エ宿屋へ帰り、昼飯たべ直(スグ)と馬車に乗り、日光より宇都宮まで参り、昼四時過に此所の停車場より汽車にのり、七時過には上野まで着(ツキ)、又これより馬車にのり新橋迄、これよりちんちん三人連れ歩行致し帰り候。内にて夜食たべ 夫より九時頃はいね申候。

 1泊2日の日光への旅、お疲れ様でしたね、御三方

 またまた明日のお天気の行方も気になりつつ、この日は早目の御休みのようです

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「5月11日 上州日光山へ参詣」

2020-05-11 18:39:11 | 『都見物日記』

第六章は、東京から少し足を伸ばして日光への旅路から始まります

 

『都見物日記』(六)‥‥ ①

 五・一一  今日も天気よし。又六時過ぎ起き早飯しまい、本日より上州日光山へ参詣致すつもりにて 九時二十分より出掛け、通り町より馬車にて上野停車場迄ゆき、十一時出ぱんのには ちと早目にて 下の茶屋にて茶のみ、其所よりちんとすし買入、十一時過汽車にのり、又色々珍らしき所を眺め申候。宇都宮と申所まで汽車にてこれから又 馬車にて日光まで行き 夜九時に宿屋に着、皆々風呂に入り十時過に飯、酒少々のみ 夫よりいねかたにて候。神山と申す宿屋也。

 今日はこれだけ。移動日ですね。

朝早く起きて、京橋の宿屋を9時20分に出掛け、上野駅まで馬車で移動、早目に着いたのでちょっとお茶して、11時過の汽車に乗り窓からの眺めを楽しみつつ宇都宮まで。

宇都宮の駅から今度は馬車で日光まで移動。夜9時にようやく宿屋「神山」へ着いた、と。

お風呂に入って、晩御飯は10時過になりましたか。一日がかりの移動、大変ですね

 明日は日光山参詣、お天気、良いといいですね

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「5月10日 泉岳寺、大円寺、浅草の観音へも参詣」

2020-05-10 16:46:43 | 『都見物日記』

 ここまでいろんな人物が登場しましたが、どういった方々なのかが気になりつつも、旅の日記は更に続きます。

 

『都見物日記』(五)‥‥ ⑥

 五・一〇  今日天気よし。六時すぎ早目に飯たべ、八時過より泉岳寺御仏像由良の助御墓皆々四十七人のお前拝見いたし候。夫から大円寺名越家御祖先の墓へ御参りいたし、三人にて草とり掃除いたし候。お筆どの子供の墓へも参り、少々下にて有之(コレアリ)候。此より又 浅草の観音に参詣仕候也。これも御宮は朱ぬりにて大きく奇麗の事。虎その外 とり、熊などの見せもの、人魚というものも見候。これは人がまねしているとのこと承候。お庭など奇麗のこと。此時轟殿 花もの品々買入帰られ候。御墓参りの帰掛けも花買入れ、野菜の種いろいろ買入候

 夕方にぜんざいを三人共にたべて帰り、暮過に内に帰着候て 何も内にて食べず、早目にやすみ候也。

 

 

 泉岳寺を訪ねた後、大円寺で名越家のご先祖様へご挨拶‥‥って、もしかしたら初代・名越恒渡(ツネタダ)のお墓があったのかな、と、これを書きながら思いつきました!

 (実は現在 '20.5/21 深夜です 

妹・須磨が第21代島津吉貴の側室となったことで島津家臣となるのだけど、薩摩へは行かないまま江戸で亡くなったという話なので、とすると、島津家の菩提寺であった大円寺にお墓があっても不思議ではないですよね! きっとそうに違いない!

今までピンとこなかったのだけど、ここへ来て思い当たりました〜

※ 「大円寺」については以前書いています →『大円寺いろいろ

 「お筆どのの子供の墓」も気になるのですが、何しろ次姉・筆さんについては詳しいことがわかりません。。

 

 次は第六章。東京滞在もいよいよ大詰めです。

  

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「5月9日 轟殿は博覧会へ、 佐原芳どの、 山井於時様、 永岩直次郎さんもご来訪」

2020-05-09 16:40:24 | 『都見物日記』

 前日の上野博覧会見物などのお疲れもあってか、お母様とイサさんは京橋の宿でゆっくり過ごされますが、お客様も入れ替わりでおいでになり・・・。

※ 京橋の宿屋へは5月2日から滞在中↓

「5月2日 新橋松元屋から 京橋区加賀町へ宿替え 麻布永坂島津氏お染様の所へ」 』

 

『都見物日記』(五)‥‥ ⑤

 五・九 久々続き今日も天気よし。六時起き茶のみ程なく飯たべ候。今日は博覧会みかた、轟殿計り也御母上様少々御くたびれ遊ばし 御やすみの事也。久々に天気よく候得共 私は御母様とるす致居(イタシオリ)候。昼飯は両人とも内にて一時ごろにたべ候也。

 二時之頃、御母様は風呂に入らせられ 私一人留守いたし居候処に、佐原芳どの来り 二人にて何かと話いたし居り候得ば、御母様、轟殿帰り 四人にて茶のみいたし 色々の話の事也。

 五時頃に山井於時樣お出で久々に皆々御目にかかりお互いにうれ敷、玉子箱入 一箱御土産として御持ちこし也。これ亦 何か積もる話にてゆるゆると成され皆々より紺絣一反買入候て 差上候事お時様は先達て出産、男子出来ましたとの事。ようよう四十日ぐらいの日数ゆえ、何も何も御馳走もできず御菓子などいろいろ差上候。(中略)

 芳どのお時さんより後 はなしいたし 八時過に帰り申候。永岩直次郎さん七時過にお出で、精一殿の手紙もち参られ、私へも早く帰れと申来たり居るとの事承り候。十時過まではなしてお帰りの事。十一時過には いね候。

  (中略)は医者通いの話など(若)

 

 今日初めて登場したのは「山井於時様」。文面から同等の家系か身分の高い方かと思われます。出産されて40日ほどとのことですので若い方でしょうか。

 永岩直次郎さんは5月4日に登場しました。→ 「5月4日 京橋の涯 松田屋と申所へ」

精一殿はイサさんの次男で、イサさんが記したこの『都見物日記』を整理された方です。

☆ 以前に紹介した記事 → 【第4話】紹介者は、寺師若法師さん  「4月17日 鹿児島を出帆」  

 

 さてさて、明日はどこへ行くのかな? 

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「5月8日 上野博覧会、美術館、九段坂招魂社」

2020-05-08 16:37:44 | 『都見物日記』

※ 九段坂は地図画像↑の左側中程、上野は中央上部に位置します(ご存知の方はご存知でしょうけど

 ようやく連日の雨も上がり、お出かけ日和となりました。明治23年の5月のことです。

 

『都見物日記』(五)‥‥ ④

 五・八 本日天気よし。早飯たべ、上野博覧会の方へ出掛け、馬車に乗り上野迄行く。直と美術館に行く、何も何もあきれ果て 感心の品計り。 今日は行掛けに 九段坂の招魂社祭日にて、此所へも行き賑々敷事と見申候。 其所 御参詣迄にて車にて馳通り 上野へ行き、五時過まで昼飯も食べずして見物いたし候得共、今日も迚(トテ)も迚も見済ましならず、先(マズ)は昼飯でもたべたらとて 博覧会の下に茶屋あり、そこにより 夕方に飯たべ ちんちん酒飲み、又ここより歩行にて帰り 途中より車に乗るつもり宿屋まで車にのらぬうち (※佐原)芳方へ一寸立寄り 直(スグ)と酒などいだし 大喜び也

 又すぐと宿屋へ急いで帰り候得ば、轟殿の知人、お筆どの方へお世話へなりし神田十助と申人、先程より待ち居りたりとの事(コト)故、又ゆるゆると色々の話いたし、久々の事にて酒肴、馳走などいたされ、夫より帰られ、直(スグ)と皆々やすみ申事也。

 馬車で上野へ向かう前に、祭日で賑わう九段坂の招魂社へも参詣したようですね。

(九段坂の招魂社って「靖国神社」の事ね、と思ったら1979年に現在の名称に改称したとありました)

 上野の美術館って、現在の物とは別なのでしょうね。画像のガイドブックによると、「国立西洋美術館」は昭和34年設立、「上野の森美術館」は昭和47年に設立とあります。すると、町田久成さんが尽力された「東京国立博物館」の展示を見たのかも知れませんね 

 展示物って、じっくりしっかり見て回ると結構時間が経ってしまうものですよね、私も経験あります。イサさん達も5時までお昼抜きで回ったようです。遅い食事を摂り、歩いて帰る途中で佐原芳どの方へ立ち寄っていますね。6日にも訪ねたばかりですが、お酒をいただいて大喜び(笑)

 轟爺さんの知人で、筆姉さん方へ世話になった「神田十助」って、どんな方なんでしょうね? 気になります。

 

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「5月7日 雨降りながらも、上野の博覧会に」

2020-05-07 16:36:13 | 『都見物日記』

 残念ながら、今日も雨模様。もう5日間も雨が続いています。      

 

『都見物日記』(五)‥‥ ③

 五・七 また本日雨。六時に起き茶のみ 昨日の話ども致し候事也。めしたべ 夫より今日は雨も少々の事故(※コトユエ)上野の博覧会にちんちん出掛け、通り町まであゆみ 直(スグ)馬車にのり、入口よりちんちん見、三時過までぐりぐり色々の品を見、夫から博覧会の内にいろいろ茶屋あり、夫にて昼飯べんとうたべ、又直(スグ)と同会の品見に入り、夕方迄み申、ちんと子供へ土産品をかい入、又上野より馬車にのり 七時過に宿屋へかえり付、目もちらちらになり 今晩は早くやすみ申候

 「雨は少々のこと」とあり、「上野の博覧会」に出かけることはできた模様。

 イサさん、子供へ土産品を買っています。この時、子供は‥‥ 

長男・久良さんが慶応三年(1867年)生まれなので満22歳。その下には精一氏もいらっしゃいます。

以前内村氏から頂いた川上家の過去帳によると、既に長男(明治19年生まれ)・長女(明治21年生まれ)がおられたようですが、もしかしたらお孫さん達への物も買い入れていたかも知れませんね。

 

 

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「5月6日 佐原芳どのを訪問、 天王寺の吉次殿とは?」

2020-05-06 16:11:36 | 『都見物日記』

 昨日はイサさんはお留守番で、川上の母上様と弟・轟とで水天宮様へ。お守りも無事に頂けたようです。

さて、今日はちょっと悲喜こもごもな内容が綴られて‥‥

 

『都見物日記』(五)‥‥ ②

 五・六  本日も雨降り。六時頃起き あさめし早めにたべ、上野辺に行き 天王寺の吉次殿墓参いたし、今日はめずらしき所もみ候得共、実に実に実にうれしいやら悲しいやらにて候。右の所にて行がけ 佐原芳どの方に 一寸立ち寄り候得ば、先日よりちと不快にて いね居候ところに一寸参り、只々驚きて床の内より飛出候て 本日も亭主は留守にて只一人さみ敷致しますというて、実に大喜び申候而、何も一寸の談もできませんと申される事。

 墓参の帰りには、金杉の多田親愛さんと申す人の、お筆どの知人にて、此所に一寸参り四時過にて、すぐと酒すもじ、椀もり御馳走に三人とも預り、帰りには車迄も送り給わり、ぜんぜん雨もせわ敷故 右の通りに帰り、夜入には帰り付、内にてゆるゆるいたし 九時過には、いね申候也。

 途中にて、本日はちんと買物などいたし、茶で(台か←※「茶台(チャデ)」)も五つにて十六銭也、十三屋という東京にて名高き櫛屋に行き、又ここにて櫛、へら、すき櫛 〆て八十四銭だけ買入、宝丹、奇応丸 〆て三十銭丈買入れ、本日も珍らしき物計り見、感心也。

 「天王寺の吉次殿」がよく分からないのですが、お墓参りをされた様です。ゆかりの深い方なのでしょうか、文面からすると、お参りできたことが嬉しいけれど、悲しみもまだ日が浅いのかもしれませんね。

ちょっときになるのは、イサさんたちの兄弟、次弟・轟の下にもう二人男子がいた様なのですが、父・左源太の日記に「三男 吉次郎」「四男 徳熊」(『鹿児島県史料 名越時敏史料ー1』によると、「三男・吉次郎、四男・徳熊」)がいるので、もしかしたら三男の吉次郎さん??とも思ったり‥‥。

 お墓参りに行きがけに、「佐原芳どの」方に立ち寄ったと書かれています。先日から体調が悪く寝ておられた様ですが、ご亭主が留守で一人寂しいところへの来訪を喜ぶ様子がわかります。

この方はこの後5月9日には宿屋を訪ねて来られ、16日にもイサさん一行が東京を離れる前にお土産を持って来られます。

 墓参の帰りに「お筆どの知人」の「金杉の多田親愛さん」という方のところを訪ね、ご馳走になった上に雨がひどかったこともあり、車で送っていただいたんですね。

合間には櫛やお薬のお買い物も出来た様です。3日から雨続きですが、明日のお天気は‥‥さてどうでしょうか?

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「5月5日 今日は水天宮様の縁日で」

2020-05-05 16:10:17 | 『都見物日記』

 ようやく第五章までこぎつけました〜 (実は今日はすでに5月17日

 

『都見物日記』(五)‥‥ ①

 五・五  今日も雨降りせわ敷也。六時に起き茶のみ、程なく七時 朝飯たべ 轟どのも日ぐらしに本などよみ、後 三人とも昼寝致し十一時過までいね候。起き候得ば少々雨も小降りに相也、夫故また御母上様と轟どのは水天宮様今日は縁日にてお札頂きがでける様にと、十二時頃より出かけなされ、私は今日は留守いたしおり候

 十二時過 やど屋にて昼飯たべ候 只々さみ敷お留守致しおり候、又さみ敷故 昼寝などいたしお待申居候。 先程は起きて待候得ば 私も水天宮様のお守り願上候得ば、もうしうけ下され候。四時頃にお帰り 茶などのみ、ほどなく夜入り 夜食たべ 十時頃には やすみし事。

 この日も朝から雨降り。仕方なく本など読み昼寝をして午前中を過ごし、小降りになった昼頃には川上のお母上様と轟とで、縁日の水天宮様へお札を頂きに出かけたようです。(水天宮は↑の画像上部、「人形町」近くにあります)

 この「水天宮様」は「安産、子授け、水難除けの神」として知られるそうで、轟の子供はこの後明治25年に男子、さらに明治27年には末娘を授かっております (私の祖父の末の弟と妹)

 

画像は手持ちのガイドブック(2011年版)より 

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「5月4日 京橋の涯 松田屋と申所へ」

2020-05-04 16:07:29 | 『都見物日記』

 さてさて今日も朝から雨模様。ちょこっと買い物したり、お客様があったりの一日。

 

『都見物日記』(四)‥‥ ④

 五・四 今日雨。六時過におき、早目に轟殿と買物に出て 傘、下駄取入、帰てより朝飯たべる也。九時過に 西田の有川さんと申 銀行へ出る方お出(イデ)、暫く談しお帰り之事。十一時頃おかか様轟どの風呂にお出、私留守也。

 程なく十二時過には又三人づれちんちん見物にいで候。途中にて きぬ糸、しつけ糸、羽織紐 買入れ、夫から京橋の涯(キワ)   松田屋と申所へより 昼飯たべ、上(カン)酒二瓶のみ、此茶屋は大きな茶屋にてきれいなり。近所にみす屋 針有之、夫も少々買入、ちんちんの買入代が壱円六十五銭にて候。

 五時過に内に帰り茶など飲み居り候得ば 永岩直次郎さんのお出、今日 てがみ差上げ候えば 迎に喜んでお出でになり お互にうれ敷、今日は品川に貝ほい(※傍点有り鹿児島弁で「けほい」)に子供達と行きましたが 遅くて余り出なかった との事。久々に候えば何よりお話申様もなきとの事。 ゆるゆるとめそばの馳走致し 十時前にお帰りの事。 夫より轟どのが芝居の筋書 読み聞かせ面白く、十一時過にいね候也。

 

 朝ごはんの前にちょこっと傘や下駄など買い物して、昼過ぎには三人で絹糸やしつけ糸、羽織紐などを買ってるのって、ちょっといい感じです。お客様もちらほらありつつも、少しゆっくりできたようですね 

 今日の登場人物は、西田の有川さん(西田は鹿児島城下から伸びる街道沿いの地域名)と、永岩直次郎さんでした 

 お昼ご飯で行った「京橋の涯」って、どのあたりなんだろうな?

 

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「5月3日 【後編】 イサさん、団十郎の道成寺に感激!」

2020-05-03 16:06:14 | 『都見物日記』

 ↑トップ画像は、5月19日、20日に入手した書籍から📚('20.6.10 追加掲載)

この日の日記前半では歌舞伎座見物に只々感心感激のイサさん、

後半冒頭では、ここまでの旅のお天気をちょっと振り返ってみた様ですが……。

 

『都見物日記』(四)‥‥ ③【後編】

 五・三(つづき) 鹿児島出発の折 天気よく、船上もあしき天気は稀の事也。西京 少々乃見物には天気よし、伊勢参詣の日もよし。其外はあしく のさず(※傍点有り)〳〵〳〵。今日も終日雨にて 帰りもせわぜわ敷、歌舞伎座戸口より 車にて宿屋へ帰りの事。

 団十郎の道成寺、初てあの様な立派な芸を見申候。初は 地赤に桜の散らし振袖にて踊り、なかばに赤い着物はぬき下より萌黄のを着、桜にかすみにてきれい也。又夫を上計り腰ぬきにして下には白地の桜と雲也。叉ぼうずが色々とする内に又一寸内に入り直(スグ)と着がえして出る、又其時は紫、又したのは地赤に桜の金色、ぴかぴかぴかきれい也おそめ様もお安悦と見え申候。飯は べんとすし、ちんと酒少々 さしみ、お染様は下戸様にて酒はおのみ成されず候。四人にて 四円五十銭にて、これには感心の事。

 夜入 ほどなくかえり、内にて夜食たべ候、十時過にやすみ候。

 

 「のさず」‥‥ 鹿児島弁で、「のさん」といいますが、「(どうにもならず)まいった!」といった意味で使います。

例)「今日は洗濯物を干したのに、桜島の灰(へ)が降って来て、ほんのこて(本当に)のさんね〜」

「鹿児島弁辞典」石野宣昭(2012年・南方新社)を見ると、

「のさん ‥‥ ①我慢できない ②困る ③難儀だ」とあります。

 

 前回の前半から一転、これまでのお天気を振り返っているので、歌舞伎座見物の話は終わったのかと思ったら、

帰りにも雨に降られて難儀したので「思えばこの旅のお天気は‥‥」と思わず回想してみたところなのですね。

最初に読んだ時には、団十郎の道成寺が余りにも煌びやかで素晴らしかったので、この日の日記にも二度にわたって書き綴ったのだろう、と思っていました。

それにしても余程、九代目市川団十郎の演技や歌舞伎座の舞台・衣装などが素晴らしく、印象に残ったのでしょうね

 

 この演目「道成寺」の内容は↓こちらのサイトをご覧ください。

   「道成寺」‥‥安珍と清姫の物語  

こちらでは↓錦絵も見られます。

 深読み役者絵展より「娘道成寺」

 

 これまで知らなかったのですが、

道成寺は和歌山県最古の寺で、大宝元年(701年)創建なのですね

道成寺のHPより↓

「道成寺について」

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