☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
☆記事・写真などの複写・転載はご遠慮ください

5月の歴史探訪フォトアルバム-2

2008-08-02 15:16:16 | 歴史探索

5月17日:池之上町の歴史散歩 」のつづき


島津家のお墓の周りにある献燈
島津安芸・忠剛さん、忠冬さんの名前もあります。


姻戚関係にある町田氏の名前と名越の名前が綴られています。


名越&三原の名前がありました。左源太の次男、轟の奥さんの実家は三原家


篤姫のお兄さん、安芸忠敬(ただゆき)さん。


こちらは、重富島津家の周防忠教(ただゆき)さん。字が違うんだけどちょっと紛らわしいのね。


島津斉興さんの墓


お由羅(由良?)さんの墓


福昌寺跡の玉龍中・高の横を通って。幟を持って歩き廻りました。

 

5月の歴史探訪フォトアルバム-3」に続きます

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5月の歴史探訪フォトアルバム-1

2008-08-02 14:34:54 | 歴史探索

ちょっとこの辺りで、
これまでに撮った写真を並べてみたいと思います。

(2008年)
5月17日:池之上町の歴史散歩

砲術館跡
 

重富島津邸跡~池之上町メインストリート(昔親戚が住んでいた辺り)
 

洋画家・藤島武二宅跡
池之上町にあるとは知りませんでした。
 

奈良原助八 殉死之跡
 
以上、2018年3月21日(春分の日)に、大きな画像に貼りかえました

島津家墓地へ


調所笑左衛門の名前も(左端)

*こちらは写真を指2本で拡大表示する方法で見てみてください

『5月の歴史探訪フォトアルバムー2』に続きます。

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今日の探訪先は‥‥

2008-01-29 19:23:23 | 歴史探索

小さい画像はクリックしてご覧下さいね

      

小松帯刀別邸跡と 
昔の我が家の辺り。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

今朝の新聞に、この屋敷跡の庭先を 
専門学校生がボランティアで清掃活動をしている記事と写真があり、 
思わず「行ってみよう!」という事になりました。 

その昔私が通ってた小・中学校への通学路から 
少し入ったところにあります。 
主道路からの入り口に 
「小松帯刀邸跡」と石碑かなにかの表示があったように思います。 

車1台がやっと通れるような細~い道を、 
思ってた以上に奥まで行くと案内板がありました。 
いまは個人のお宅らしいです。 

    

 フォトチャンネル作りました〜('19. 7/24)



ついでに昔住んでた辺りを車で通ってみました。

 


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名越家屋敷跡

2008-01-26 13:40:44 | 歴史探索
小さい画像はクリックしてみて下さいね
 
   
*後日わかったのですが、右の写真の場所が名越邸跡のようです。 
                     <'08.10/22追記> 


  

アルバムにもアップしましたが、 
http://mixi.jp/view_album.pl?page=2&mode=photo&id=10296460 

お由羅騒動の発端にもなったという密会・密談があったのは、 
この屋敷跡ではなく、たん靼冬(タンタド)の野屋敷、名越家別邸だそうです。 
まあ言わば、場所を提供しただけだと思っているんですが。 

ドラマ『篤姫』時代考証をされた原口泉さんも 
「左源太は野屋敷を提供し密会にも加わったが、 
 久光暗殺論まで飛び出し、門閥の名越家では 
 『そういうことはできない』と、連署から名前を抜いたのだろう。」 
と仰っています。 

以前から、たん靼冬(タンタド)の"名越どんの坂"と野屋敷跡を探して 
何度か付近の坂を通ってみるのですが、未だ見つけられません。 
市の観光課で訊いて行ってみたかったのは 
左源太の墓と、ここなんですけどね。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 


☆補足: 
《名越左源太時敏とは》 
http://www.city.amami.lg.jp/naze/museum/museum/sonotanobunnkazai.htm 
「柏有度(かしわ ゆうと)」の次の記事です。 
左源太が描いた奄美大島の風習・風俗の絵もいくつか載っています。 

《南島雑話》 
http://www.ebookjapan.jp/shop/title.asp?titleid=1748 

 
 
 フォトチャンネルを作りました('19.7.24)
 
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「寺山展望台へ。(8月23日 処暑)」mixi日記より

2007-08-24 13:28:21 | 歴史探索

昨日は処暑。

二十四節気のひとつ
「そろそろ暑さの峠も超え、涼しくなる頃」らしいのだけど
ほんとにそうだといいですね。

昨日はとっても気持ちのいいお天気だったので、
部屋の片付けも後回しで、
父とドライブ。

寺山展望台、寺山公園にあるのですが
初めて行きました。

見晴らし最高でした!
デジカメ構えてぐる~~っと360度撮影。
  
   




あとでフォトアルバム作っときますね。

終戦直後、父が四国松山から鹿児島へ向かい、
最初に親戚を訪ねて向かった先が吉野の西側の実方。
戦後のことなので鹿児島駅からズーッと歩いて昇ったそうです。
そのときに一緒に鹿児島入りした友人と、
友人のおじさん宅を訪ねて吉野から伊敷までも歩いていき、
また歩いて吉野に帰る父。
別れる際、向こうとこちらで手旗信号で言葉を交わしたきりだ
と、時に当時を思い出しては語ります。


寺山はその吉野の東側、大崎ヶ鼻にあります。
30数年前に会社の遠足で行ったきりで2度目とか。

結構山の上まで走るんだなー、とチョットドキドキ。(笑)
近くには、鹿児島大学の地震火山観測所がありました。

鹿児島にいながら、あちこち知らないところばかり。
今度はどこにドライブに行こうかな。

   ☆☆☆

《追記》
アルバム作っときました。
『2007年8月23日(処暑)寺山展望台へ』 ←「スライドショー」にしても見られます♪


こちらは姶良・加治木 〜 隼人・国分方面。 中央の大きな川は別府川。この奥に中津野地区があるらしい。

先日読んだ小説「ゆきえ」の舞台である"中津野地区"は
画面中央の別府川の上流にあるようです。
いつか行ってみようと思います。


航空測量の標識らしい。どうやって使うのか知らん?


右側が隼人・国分。奥にうっすらと霧島山が見えます。右から高千穂峰、新燃岳、韓国岳。
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「南洲神社」mixi日記より

2007-08-19 12:10:40 | 歴史探索
  

マイミクのYさんが
(といっても、マイミクさんでYが付く人は数名いますが。笑)
夏休みということで東北へ旅行されたのですが、
山形県酒田市にも「南洲神社」があるらしいですね。
http://www1.ocn.ne.jp/~x48ue66i/data/frame.htm (← ☆リンク切れ)

南洲神社というと、恥ずかしながら
南洲翁西郷隆盛を祀ってあることくらいしか知らないのですが
国内に4カ所あるというのも、今回初めて知りました。
*詳しくは、Wikipediaなどをご覧下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/南洲神社
一部ピックアップ
「西郷隆盛を祀る同名の神社が山形県酒田市、宮崎県都城市、鹿児島県和泊町の沖永良部島にも創建されている。」


地元に暮らしながら、それ故か、かえって知らないことが多く、
今更ながら不勉強を実感する私でした。

父の本棚を覗いて、面白そうな本を見つけ
拾い読みしているところ。

「日本歴史を点検する」海音寺潮五郎・司馬遼太郎対談/講談社文庫
「手掘り日本史」司馬遼太郎/文春文庫
 
  
コメント (2)
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