☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
☆記事・写真などの複写・転載はご遠慮ください

左源太の任期

2008-07-26 12:35:57 | 名越左源太と家族

    ☆写真は『小林市の地頭仮屋跡』で、7月23日に撮影 ↑

『南島雑話の世界』によると、
左源太が任務により小林市にある地頭仮屋跡に住んでいたのは、
1864(元治元)年10月5日から二年間で、その後、
「1866(慶応2)年8月に高岡(いま"'02年現在"の宮崎県高岡町)地頭に転任、
 1867( 〃 3)年8月に寺社奉行になっている。」のだそうです。

 在職の二年間に、「文武の鍛錬の他、桑の植え付けや茶の播種を奨励し、
大島から取り寄せたコウシャ(ヤマイモの一種)や紅白の甘藷を植えつけ、
その普及をはかっている」とも書かれています。

その後、「1873(明治6)年6月、また宮崎県十二大区(西諸県地方)の区長に就任するが、
翌'74(明治7)年4月に依願退職して、鹿児島市内のタンタドの野屋敷を本宅とし
時折、街に下りて骨董品をあさり、悠々自適の歳月を送った。」とあります。

1864(元治元)年8月には藩の辞令で、小銃隊75人を率いて長州に出兵する手はずだったところ
同年9月16日に急遽、現在の宮崎県小林市の「居地頭」に任命されたそうです。
当時の地位は「大番頭格」。(この"番頭"とかの地位がまだよくわかりませんが。。)

 「『小林市誌』によるとそれまでの小林地頭は、赴任しない「掛持地頭」が長く続き、
居地頭は実に228年ぶりだった。」とも書かれていました。


 そして、今日、小林市役所のHPを覗いてみました。
なるほど、このHPからそのような記述を見ることが出来ました。
*11頁「歴史散歩/国際交流」をクリックしてくださいね。

 左源太は10月2日に家族同伴で鹿児島を発ち、5日に小林に着任しているとのこと。
ちなみに、左源太の長男・平馬(のち時成、変名・三笠政之介)が
薩摩藩英国留学生の1人として渡英したのは、この小林地頭時代の1865(慶応元)年3月、
なんですね。

 

 2019年に関連記事を書きました

小林居地頭着任の日2019-10-05  カテゴリー: 名越左源太と家族

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「NHK かごしま歴史散歩」

2008-07-26 11:47:02 | 名越左源太と家族
 「NHK かごしま歴史散歩」NHK鹿児島放送局 編
という本がある。

 NHK鹿児島放送局開局50周年記念に昭和61年にまとめられ出版されたもの。
著者は原口泉氏。

 残念ながら、私はこの番組を見たこと無かったのだけど、6年間に渡り放送された番組で、
鹿児島の歴史や先人たちの生きてきたその時々の郷土の様子や人びとの暮らしぶりなどが
豊富な資料をもとに紹介されていて面白い。
 中でも、「サラリーマン武士の1日」と題された項では、
一例として名越家の家系の家の台所事情や当時の暮らしぶりなども書かれている。

 ただ、おそらく誤植だろうと思われるが、その中で
「名越恒渡の妹の産んだ男子が20代藩主綱貴となった。」
となっている箇所がある。
 正しくは、「22代藩主継豊」。

 ともあれ、広範囲に渡って書かれているのでじっくり読んでみる価値が大いにあると思う。
個人的には、当時の番組の再放送でもあると、尚一層、面白いと思うのだけど。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

はじめてレビューを書いてみた。
「名越恒渡の妹」とあるのは、お須磨さんのことですね。^_^ ♪

*本の写真がなかったので、あとで貼ることにします。
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