名越左源太についてネットで調べ始めた頃に出会った、
『墓標を縫って 南洲墓地にて』というホームページ。
ここの「名越佐源太公の墓」に書かれていた、左源太の墓石の話から、旧墓石が立派なものだったため、都市計画で改葬される際に墓石屋が喜んで持っていったらしいことや、その後市内の坂元墓地に移されたらしいことなど手がかりをもらいました。
名越家の墓の場所を知りたかった私は、一縷の望みを持って市内の坂元墓地を父と尋ねてみたのですが、到底墓石を見つけ出すことは出来ないと思い、墓地事務所に行って改葬の際にまとめられた骨壺を見せてもらいました。
たくさんの骨壺がいくつもの棚に並べられていましたが、ほんの一画の棚の中を見せていただき、偶然にも蓋外側に「町田」と書かれたものを複数見つけただけで、あきらめて帰りましたした‥。(町田=名越家とは縁戚の姓)
また、長谷場墓地だったと思われる福昌寺跡や、その後ろの山腹にある龍源寺だか発照寺だかの墓地に登ってみたりしました。
でもそこにあったのは、何年も前に台風で壊れたと思しき墓石の塊とその中に残るわずかなお墓だけでしたが、この墓地の場所を市役所で教えていただいた時に、一画には加治木島津家の墓もあるという話で、確かに「丸に十の字」の大きな墓石もありました。
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ホームページ作者の湯場崎末次郎さんは、南洲墓地で趣味の日本画のスケッチをされているうちに、南洲墓地の墓石の文字が立派なことに惹かれ、拓本取りをされていたそうです。
そんな中、西南戦争で亡くなった方のご子孫や観光で来られた方達に
それぞれの墓石の場所を尋ねられたりするうちに、
この墓地に眠っている方々にまつわるエピソードをいろいろと調べられ、
ご自身でまとめられたのがこのホームページ、ということのようです。
その後、ご本人は亡くなられ、
末次郎様のご子息がご自身の別のホームページに
目次付きでそのまま保存掲示されておられるご様子です。
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名越左源太だけではなく、桐野利秋(今、映画『半次郎』上映中ですね)や村橋久成(薩摩藩英国留学生のひとりで、帰国後北海道でビール製造に尽力)にまつわる話や、「西郷札」に関する興味深い話など、また、南洲墓地を訪れた方々(中には俳優さんなども)とのエピソードなどもあり、とても読み応えがあります。
(その他のページへは最上のリンク『墓標を縫って 南洲墓地にて』の「もくじ」からどうぞ☆)
いろんな方々にも是非この湯場崎さんのホームページを読んでいただきたくて、以前からこのブログでも紹介しようと思っていました。
湯場崎末次郎様、根気よくホームページにまとめて下さって、
本当にありがとうございました。
敬意をもって心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。
また、ご子息様には
断り無く紹介させていただきましたこと、
どうぞお許しください。