秋場所も始まりました。
皆様、ご無沙汰しております。
夏の暑さもようやく治まりつつあるこのごろ、久しぶりにブログを書いてみる気になりました。
前回の記事をアップした直後、U室長さんから頂いた資料をヒントに、早速、曾祖父の名前と"台湾"で検索をかけてみたところ、「中央研究院 台湾史研究所」の『台湾総督府職員録系統』のページに"轟"の名前を見つけました。
(※U室長さん、お礼も申し上げず失礼しており申し訳ございません。。)
そこからわかったこと。
明治29年には轟が台湾に渡っていたということ、台湾総督府の職員であったこと、などです。
明治14年生まれの祖父・篤彦が台南の嘉南大圳(かなんたいしゅう)水利組合で庶務の仕事をしていたことは父から聞いているのですが、曾祖父・轟がどんな事をしていたかはよくわかっていませんでした。
以前にも検索してみた事はあったのですが、よくある「"○○轟"さんの姓名診断」みたいなものばかり並んでいて、最初の2〜3ページでそれ以上見るのをやめてしまってました。
でも今回はしつこくページをめくってみたので、探し当てる事が出来ました。
ここ「明治二十九年‧澎湖島廳」のページに轟の名があります。
冒頭のページの明治29年の職員録をクリックすると616ページに名前を見る事が出来ます。
(「台湾総督府職員録系統」の明治29年の616ページ)
台湾のサイトは私には解読できませんが、祖父の書いた物をもとに1999年に発表されたものもあるようです。
(国立台湾師範大学のサイトより)←リンク先が見られなくなっていましたが探し出して最後尾↓に新たにリンクを貼りました
↓
栗川轟(陳春暉 譯)(1939)
1999〈一百零二年前澎湖之水產業概況(原名:〈四十二年前の澎湖の水產業〉),《硓咕石:澎湖縣立文化中心季刊》16:2-12。
※このリンク、問題あるようでしたらどうぞご指摘ください。
曾祖父・栗川轟の「四十二年前の澎湖(ぼうこ)の水産業」を1939年に陳春暉という方が訳したものが、1999年に「一百零二年前澎湖之水産業概況」と題して《硓咕石:澎湖縣立文化中心季刊》に載った、ということかと思います
(1999年の102年前だから1897年、同様に訳書出版の1939年の42年前は1897年=明治30年の論文ということになります)
(↑この部分、2018.1.25 祖父・篤彦の命日に追記)
さらに澎湖島(ぼうことう)で検索して興味深い記事もありました。
藤沢市文書館のサイト、「文書館だより 文書(ふみくら)」の一番下、連載記事のようです。
ちょうど曾祖父・轟が職員であった前年、明治28年の様子。
そして、先日注文していた片倉佳史氏の『古写真が語る台湾 日本統治時代の50年 1895-1945』と一青妙さんの『わたしの台南 「ほんとうの台湾に出会う旅』が届きました。
今日はこんなところで。
「国立台湾師範大学」のリンク先からこちら↓に変更です('22.8.11追記)
栗川轟(陳春暉 譯)(1939)
1999〈一百零二年前澎湖之水產業概況(原名:〈四十二年前の澎湖の水產業〉),《硓咕石:澎湖縣立文化中心季刊》16:2-12。
西暦表示がややこしいのですが、1939年の出版時から42年前ということで、1897年=明治30年のレポートですね。
以上、2022年8月11日の追記、でした