☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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月桂院とは

2017-05-19 19:31:52 | 名越左源太と家族

前の記事で「月桂院」の名前が出てきましたが、もう少し詳しく説明したいと思います。
名越家の歴史がここから始まったと言えるお話です。

島津吉貴公(左奥)と月桂院様の御墓(中央)

☆1-後の月桂院・須磨さんは江戸高輪屋敷で島津の若君・又三郎(のち吉貴)様の目に留まり、三男三女をもうける。
☆2-月桂院は第22代藩主・島津継豊の実母で、その兄は妹の薩摩入りに伴い江戸から薩摩に入った後、名越姓を名乗った名越恒渡(つねただ)です。

 この記事を書いたのちに教えて頂いたのですが、実際には薩摩入りする事なく江戸で亡くなったということでした 2023.4.10 追記)

☆3-名越恒渡の孫・恒篤の養子に町田久亮二男・盛尚、またその養子町田久輔二男・盛胤が左源太時敏の父、ということです

☆4-そして、盛胤次男で左源太時敏の実弟は、町田家に養子に入った町田内膳久憲(家老)

また、月桂院が生んだ三男三女のうち、長男は前述の通り、島津家第22代藩主・島津継豊。
そして二男は垂水島津家第9代当主・貴儔(たかとも)。貴儔の長女・都美は従兄である重年夫人となり長男(のちの重豪)を産んだ後、産褥で亡くなる。
 ※ 継豊の長男=宗信、同じく二男=重年

以上は、時成さんの子孫・内村八紘さんの『名越左源太と長男・時成(変名・三笠政之介)』に基づくもの。
また、一部は黎明館史料と照合・検証されています。


 このように、いろんな事象がめまぐるしく我が身にのしかかってきた為、これまでの長きにわたりこのブログに書いてきました。
そろそろ一応の区切りをつけようと考えています。


今日のツイートから

2017-05-19 18:41:45 | このブログのこと
今日は、改めてこのブログを書き始めた切っ掛けをTweetしてみました。
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☆ 画像は第21代藩主・島津吉貴様の墓の隣にある、月桂院(元、名越恒渡の妹・須磨)様の碑文(於:福昌寺跡墓地 '08.2/29撮影)