桐野利秋の直筆文書が昨年末に見つかり展示されていると、ツイッターフォローしている方の投稿を目にして
数年ぶりに顕彰館へ行くことにしたのは先月も末5月26日のことでした。
《遠矢浩規さんのツイート ↓↓》
南洲墓地に隣接する西郷南洲顕彰館も見てきた。個人的には、昨年見つかった桐野利秋の西南戦争時の豊後方面探索指示の書状が気になった。桐野が戦況に応じてどこで誰にどんな指示を出していたのかもっと知りたい。なお、顕彰館の展示や収蔵品の図版目録が無いのが残念だった。(書状全体の掲載は自粛) pic.twitter.com/qoFr8LBCFZ
— 遠矢浩規 (@tohyaofficial) 2017年5月25日
mixi日記を遡って確認すると、もう9年も前の
2008年1月13日の日曜日に父と訪ねたきりでした。
☆あとでmixi日記を当時の日付けでアップする予定
そこで見つけたのが、顕彰館の建物の裏手にある「竹公園」!
残念ながら先月行った時は時間的に余裕が無く、裏山に登ること無く帰りました。。
なので案内板だけ撮りました。向こう側に隣の南洲墓地が見えます。
☆以下の写真は9年前に撮影したもの(写真の地図上部)
ご存知の方もおありでしょうけど、ここには浄光明寺があり第21代島津吉貴公のお気に入りの場所だったと聞いたことがあります。
その吉貴様が琉球から中国江南地方の孟宗竹二株を取り寄せ、磯別邸に植えられたそうです。
案内板にあるように、そこから日本全国に繁殖した、とあります。
「えっ?」と思われた方もおられると思いますが、正直なところ私も
孟宗竹なんて今ではごく普通にあるものだし、にわかには信じられませんでした(笑)
でも、何にでも始まりはあるものなんですね。
9年前の1月、ここが私にとっても特別な場所になった、そんな気がしています。
なぜかというと、吉貴様のお気に入りの場所であり公(=浄国院殿)の墓所があった場所だから。
(現在、お墓は福昌寺跡の島津家の墓地にあります)
☆これについてはコチラの記事をどうぞ→『月桂院とは』
※写真の転載厳禁