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画像は紫式部の花🌸5月末に撮影。黄色の花🌼はカランコエです。
前回は吉貴・継豊親子の時代を再確認しましたが、
その後、継豊の長男・島津宗信も若くして亡くなり、継豊次男の島津重年が後を継いだのです。
・島津宗信 … 享保十三(1728)年 江戸の芝藩邸に出生。
延享三(1746)年 継豊が隠居し、宗信が封を継ぐ
〜 寛延二(1749)年 病に罹り、同年七月十日 鹿児島鶴丸城に没す 歳二十二
関連記事:
→『第24代藩主・島津重年と嗣子・重豪』(2019-05-26) カテゴリー:第21代藩主島津吉貴と継嗣島津継豊
以前、平田靱負について書いた記事もありますが、
→『平田靱負と藩主・島津重年』(2019-05-25)カテゴリー:第21代藩主島津吉貴と継嗣島津継豊
島津重年は江戸へ参勤交代の途中、まだ子供だった島津重豪の伴い、岐阜の「宝暦治水」の現場を訪れています。
☆きのうのテレビ番組『英雄たちの選択』(田沼意次の回)を見たことで、
寝る前に再度諸々を確認することになったのですが、
島津重年の没年月日を改めて目にしてみると、
宝暦五(1755)年 六月十六日
旧暦の今日でした!
それで、またまたその偶然に驚いて、今日のブログ記事と相成りました
・島津重年 … 享保十四(1729)年 鹿児島鶴丸城に出生。
重年は初め加治木島津家島津久季の養子となり元文二(1737)年元服。
寛延二(1749)年、兄の藩主・宗信が若くで亡くなり後継ぎがなかったので、
重年が本家に復し、第24代藩主を継ぐ 〜 宝暦五(1755)年 江戸の芝藩邸に歿す 享年二十七。
以上、主に『島津歴代略記』を参照