ここまでいろんな人物が登場しましたが、どういった方々なのかが気になりつつも、旅の日記は更に続きます。
『都見物日記』(五)‥‥ ⑥
五・一〇 今日天気よし。六時すぎ早目に飯たべ、八時過より泉岳寺御仏像、由良の助御墓、皆々四十七人のお前拝見いたし候。夫から大円寺の名越家御祖先の墓へ御参りいたし、三人にて草とり掃除いたし候。お筆どの子供の墓へも参り、少々下にて有之(コレアリ)候。此より又 浅草の観音に参詣仕候也。これも御宮は朱ぬりにて大きく奇麗の事。虎その外 とり、熊などの見せもの、人魚というものも見候。これは人がまねしているとのこと承候。お庭など奇麗のこと。此時轟殿 花もの品々買入帰られ候。御墓参りの帰掛けも花買入れ、野菜の種いろいろ買入候。
夕方にぜんざいを三人共にたべて帰り、暮過に内に帰着候て 何も内にて食べず、早目にやすみ候也。
泉岳寺を訪ねた後、大円寺で名越家のご先祖様へご挨拶‥‥って、もしかしたら初代・名越恒渡(ツネタダ)のお墓があったのかな、と、これを書きながら思いつきました!
(実は現在 '20.5/21 深夜です )
妹・須磨が第21代島津吉貴の側室となったことで島津家臣となるのだけど、薩摩へは行かないまま江戸で亡くなったという話なので、とすると、島津家の菩提寺であった大円寺にお墓があっても不思議ではないですよね! きっとそうに違いない!
今までピンとこなかったのだけど、ここへ来て思い当たりました〜
※ 「大円寺」については以前書いています →『大円寺いろいろ』
「お筆どのの子供の墓」も気になるのですが、何しろ次姉・筆さんについては詳しいことがわかりません。。
次は第六章。東京滞在もいよいよ大詰めです。