以前、町田久成さんについて
「名越左源太時敏の次女・フデさんの夫だった」と書きました。
*以前の町田久成さんについての記事
その後調べてわかったのですが、フデさんと離縁したのは
1884年(明治17年)9月17日とありました。
Wikipediaを見ると、久成さんは
1882年3月 東京帝室博物館(後の東京国立博物館)初代館長に就任
同年10月 東京帝室博物館長を辞職
1890年 三井寺光浄院住職となる
とあり、博物館長を辞職した約2年後、久成さんが46歳、
フデさん39歳のときに離婚している事に成ります。
あまり人様の離婚の事をあれこれ書くのもどうかと思いますが、
住職になるにあたって考えるところがあり別れたのか、
それともその事とは無関係なのか・・・。
門田明さんの著書『若き薩摩の群像』には
「元老院議官に推挙された1885年、突然官職を捨て、
剃髪して雲水の旅に出ている」と書かれています。
久成さんについてもう少し調べてみたくなりました。
「名越左源太時敏の次女・フデさんの夫だった」と書きました。
*以前の町田久成さんについての記事
その後調べてわかったのですが、フデさんと離縁したのは
1884年(明治17年)9月17日とありました。
Wikipediaを見ると、久成さんは
1882年3月 東京帝室博物館(後の東京国立博物館)初代館長に就任
同年10月 東京帝室博物館長を辞職
1890年 三井寺光浄院住職となる
とあり、博物館長を辞職した約2年後、久成さんが46歳、
フデさん39歳のときに離婚している事に成ります。
あまり人様の離婚の事をあれこれ書くのもどうかと思いますが、
住職になるにあたって考えるところがあり別れたのか、
それともその事とは無関係なのか・・・。
門田明さんの著書『若き薩摩の群像』には
「元老院議官に推挙された1885年、突然官職を捨て、
剃髪して雲水の旅に出ている」と書かれています。
久成さんについてもう少し調べてみたくなりました。
「南島雑話の世界」は絶版になってるな。
http://manyu.cocolog-nifty.com/yunnu/2010/04/post.html
bizaさんのご本ですね。
南方新社さんからの案内を頂きました。
とても興味深いですね。
『南島雑話の世界』絶版は残念ですが、
bizaさんのご本で、奄美の食文化や左源太に関心を持って下さる方が増えるといいな、と思います。