FaceBookより
名越(この方の読みは「なごし」) 護氏が田代安定を知ったのが2年前(鹿児島民族学会の2015年10月例会の講話の際)だったのは意外だった。
南日本新聞に掲載された名越護氏執筆の『南島雑話の世界 名越左源太の見た幕末の奄美』の発行が今から15年前の2002年5月。
名越(なごや)左源太時行(時敏)の「(南島雑話の)下書き」が國立台灣大學図書館の田代安定文庫で発見されたと南日本新聞に載ったのが2014年4月だった。
「田代安定文庫@國立台灣大學圖書館」
私はその記事が出る前に「田代安定」の名前は知っていたのだが、
鹿児島検定の問題集だったかと思って確認したら載っていないので、民俗学の関係史料か他の書物かも?
そう、そもそも高祖父・名越時敏のことを知るために資料を読んだり、ネット検索したりしていた中で、八重山諸島などの研究をしていた田代の名前を知ったのでした。
それにしても、もう少し地元鹿児島でも田代安定の名前を知られてもいいと思う。
☆☆☆
《追記 '17. 9/11》
きのうmixiのフォトアルバムを見直していたら、2008年の11月に参加した「維新ふるさと鹿児島ウォーク」で
鹿児島中央駅から甲突川の両岸沿いに郷土の偉人の生誕地や縁の地巡りをした時にデジカメで撮影した、田代安定の誕生地の石碑の画像に再会!
この時が初めて田代安定を知った日だったかもしれません〜(^-^) 2枚だけでしたがアップしておきます♪
思えば今から9年前のこの頃は、まだまだ郷土の歴史も詳しく知らない頃でした。
名越(この方の読みは「なごし」) 護氏が田代安定を知ったのが2年前(鹿児島民族学会の2015年10月例会の講話の際)だったのは意外だった。
南日本新聞に掲載された名越護氏執筆の『南島雑話の世界 名越左源太の見た幕末の奄美』の発行が今から15年前の2002年5月。
名越(なごや)左源太時行(時敏)の「(南島雑話の)下書き」が國立台灣大學図書館の田代安定文庫で発見されたと南日本新聞に載ったのが2014年4月だった。
「田代安定文庫@國立台灣大學圖書館」
私はその記事が出る前に「田代安定」の名前は知っていたのだが、
鹿児島検定の問題集だったかと思って確認したら載っていないので、民俗学の関係史料か他の書物かも?
そう、そもそも高祖父・名越時敏のことを知るために資料を読んだり、ネット検索したりしていた中で、八重山諸島などの研究をしていた田代の名前を知ったのでした。
それにしても、もう少し地元鹿児島でも田代安定の名前を知られてもいいと思う。
☆☆☆
《追記 '17. 9/11》
きのうmixiのフォトアルバムを見直していたら、2008年の11月に参加した「維新ふるさと鹿児島ウォーク」で
鹿児島中央駅から甲突川の両岸沿いに郷土の偉人の生誕地や縁の地巡りをした時にデジカメで撮影した、田代安定の誕生地の石碑の画像に再会!
この時が初めて田代安定を知った日だったかもしれません〜(^-^) 2枚だけでしたがアップしておきます♪
思えば今から9年前のこの頃は、まだまだ郷土の歴史も詳しく知らない頃でした。