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☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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美濃丸にて帰りの船旅へ(明治の旅日記)

2021-05-27 22:42:51 | 「都見物日記」と令和3年(2021年)日記

 神戸滞在も最後となり、朝から色んなかたがおいでになったようで‥‥

「5月26日 神戸最後の夜に・・・」

まずは朝方「青山と申すお方」がお話に来られ、

「鈴木信弥と申すお方」も暫くお話し、九時過ぎに帰られ、

程なくして「三原母様」が「西村時彦様」と御出でになり、

お昼に食事・お酒などご一緒された後、午後二時には西村時彦様がお帰りになった

 翌日、翌々日の日記を読んでいくと、

三原のお母上はイサさん達三人と一緒に鹿児島へ向かうので、

西村時彦さまが送って来られた、ということだったようですね。

 

この日はこの後も、三時過ぎには楠公社あたりを散歩なされ、雨が降ってきたので早めに宿へ戻ると、

「上(カミ)の納屋の上の田尻様」も御出でになった。

夕飯はこの宿で四人で食べ(ということは、イサ、イサのお姑さん、轟、三原の母様(轟の義母)の四人)、

ゆっくりされているところに前出の「鈴木(信弥)さん」がお出でになり

酒・牛、「芸者の御馳走」(御馳走はシャレか?)などで楽しく過ごされ、

十一時前にはお帰りになった、とのことですね

そのあとのアクシデントについては、元記事をお読みください〜

 

「5月27日 神戸を離れる日」

出立のこの日、お天気も良く、滞在した薩摩屋で七時過ぎに朝食を摂り出立の搬(ハコ)び

十二時前に昼飯、二時に「美濃丸」に乗り込み四時に出帆

出帆前には「鈴木(信弥)さん」が「お暇乞いに」お出でくださったようですね

 

 いよいよ帰りの船旅が始まります

では、


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