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カテゴリ「祖父・篤彦の妹たち」については、今回が最終回です。
今回の妹は‥‥曽祖父の戸籍に記録が残っている「養女 テウ」についてです。
このテウさんについては、これまでに4件の記事で書いています。
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これまでの記事は、その時点ではわからなかったことや、その後にわかったことなど、様々な事柄と関連づけて書いたので少々煩雑になった感があります。
☆ここで今一度整理する意味でも改めて書いておきます。
曽祖父の除籍謄本に記載されている事柄として、
「養女 テウ 明治十六年十月廿四日生」
・明治十七年九月十二日 鹿児島縣日置郡石谷村 町田久成二女入籍ス
・明治三十八年貳月十七日 鹿児島縣鹿児島郡伊敷村
上伊敷三百七十三番戸戸主〇〇〇〇二男 佐八郎ト婚姻
ということで、除籍となっています。
数えの23(満で21歳)で結婚されています。
更には、「(曽祖父・轟の)孫 / 養女テウ 子」として明治三十六年拾弍月弍拾五日生(出生届は翌日の日付)の男子がいたようで、こちらは明治36年の出生届出日に「〇〇〇〇弟〇〇認知届出」
とあり、母親のテウさんとは別の姓のようです。
実はその子孫の方が市内在住であることは、以前、時成の子孫の内村氏からお聞きしていたのですが、私が一個人として先様に伺うのもどうかと思い、ご連絡を差し上げたこともお会いしたこともありません。
これに関連することを数年前のブログ記事に少しだけ書いたことはありましたが、ここではお名前は伏せておきます。
テウさん、戸籍上は祖父(明治十四年五月十六日生)のもうひとりの妹にあたるのだな、という思いを改めて感じるのでした。
以上、祖父の妹たちについて、でした。