今朝起きて庭を観ると、鉢植えのハイビスカスの花2輪目が咲いていました。
朝から小雨模様でしたが、午後には日差しもあり、
今日はまだ梅雨入りには至りませんでした。
話変わって、以前、先祖の名前が複数重なる(同じ名前とかの)ため
ややこしくて理解し覚えるのに苦労した事を書きました。
*コチラ↓
『名越左源太泰藏の子供たち』
今日、もうひとつ思い出したので、ついでに書いておくと、
曾祖父・轟の養父の名前が"用行(もちゆき)"
父の母親(私の祖母の実家)の実父(私の曽祖父)の名前も"用之(もちゆき)"なんですね。(微妙に字が違う)
*余談ですが、『「さつま」歴史人名集』(高城書房出版)によると、
現在の我が家のそもそもの家系は「薩州家島津仲正徳年間、二男以下の苗字○○氏、諱字は嫡男"久"、二男以下は"用"と命名するよう命ぜられた。」とあります。
(○○は轟と共に祖父・篤彦の養子先であり現在の我が家の苗字)
その上、その私の父の母方の曽祖父・寺山用之は後添いさんがいて
その後添いさんは名字が"平山"だったと。
(籍は入れずに台湾で轟の家に同居、あちらで生涯を終えました。)
寺山と平山、時々どっちが祖母の旧姓だったか分からなくなる事もしばしばでした。
ね、ややこしいでしょ。
更に、後に分かった事に、轟じい様も"東江(とうこう)"という別名を持っていたようなのです。
身近な先祖を辿るだけでもこんなに難しいんだなと思うのでした。
ほんとに、某テレビ番組『F.ヒストリー』に調べてまとめてもらいたい!と思ったり(笑)
いやホント、轟じい様や祖父・篤彦たちがいつ台湾へ移住したのか、知りたいところなんですけどね。
多分、難しい事なのかな。。。
ブラジルへの移住とかなら、よく記録が残っていたりするのをドキュメンタリー番組等で見ますけど、台湾だとどうなんでしょう。。
戦争を挟んで、終戦後のゴタゴタでわからないものなのでしょうかね。
個人で調べるのには限界がありますね、やはり。
と、今日はこんなところでおしまい。
追記 : 2019. 9.13
寺山の用之じい様の後添いさん・平山チカさんの兄二人は、
「西南戦争」で戦死したと話していたと、父は平山のチカ婆さんから聞いています。