写真は、2年前、南日本新聞に載っていた記事。
先ほど「名越左源太」で検索したところ、画像一覧からたどった先で、今まで謎だったことが判明しました。
*國立臺湾大學圖書館のサイトです。中程まで画面をスクロールしてくださいね。
↓
「描繪日本幕末時期奄美大島的「南島雜話」原稿,一世紀後於臺大圖書館現身!」
左源太の手による原本は、ある研究者に貸し出された後、行方不明になっていることは以前から知られていますが、
山口県立大学国際文化学部の安溪遊地(あんけい・ゆうじ)教授によると、
《「鹿児島のある研究者」とは、田代安定だった》
ということのようなのです。
そして何より!左源太の手による原本を、このサイトの中に見ることが出来ました!
そうかぁ、これが左源太(父のひいじい様)の絵なのかぁ。。。と感慨に耽ること暫し。
それもこれも、安渓先生による発見のおかげです。ありがたいことです。
でも、実際に見てみることは、難しそうですね。。
先ほど「名越左源太」で検索したところ、画像一覧からたどった先で、今まで謎だったことが判明しました。
*國立臺湾大學圖書館のサイトです。中程まで画面をスクロールしてくださいね。
↓
「描繪日本幕末時期奄美大島的「南島雜話」原稿,一世紀後於臺大圖書館現身!」
左源太の手による原本は、ある研究者に貸し出された後、行方不明になっていることは以前から知られていますが、
山口県立大学国際文化学部の安溪遊地(あんけい・ゆうじ)教授によると、
《「鹿児島のある研究者」とは、田代安定だった》
ということのようなのです。
そして何より!左源太の手による原本を、このサイトの中に見ることが出来ました!
そうかぁ、これが左源太(父のひいじい様)の絵なのかぁ。。。と感慨に耽ること暫し。
それもこれも、安渓先生による発見のおかげです。ありがたいことです。
でも、実際に見てみることは、難しそうですね。。