昨日はイサさんはお留守番で、川上の母上様と弟・轟とで水天宮様へ。お守りも無事に頂けたようです。
さて、今日はちょっと悲喜こもごもな内容が綴られて‥‥
『都見物日記』(五)‥‥ ②
五・六 本日も雨降り。六時頃起き あさめし早めにたべ、上野辺に行き 天王寺の吉次殿墓参いたし、今日はめずらしき所もみ候得共、実に実に実にうれしいやら悲しいやらにて候。右の所にて行がけ 佐原芳どの方に 一寸立ち寄り候得ば、先日よりちと不快にて いね居候ところに一寸参り、只々驚きて床の内より飛出候て 本日も亭主は留守にて只一人さみ敷致しますというて、実に大喜び申候而、何も一寸の談もできませんと申される事。
墓参の帰りには、金杉の多田親愛さんと申す人の、お筆どの知人にて、此所に一寸参り四時過にて、すぐと酒すもじ、椀もり御馳走に三人とも預り、帰りには車迄も送り給わり、ぜんぜん雨もせわ敷故 右の通りに帰り、夜入には帰り付、内にてゆるゆるいたし 九時過には、いね申候也。
途中にて、本日はちんと買物などいたし、茶で(台か←※「茶台(チャデ)」)も五つにて十六銭也、十三屋という東京にて名高き櫛屋に行き、又ここにて櫛、へら、すき櫛 〆て八十四銭だけ買入、宝丹、奇応丸 〆て三十銭丈買入れ、本日も珍らしき物計り見、感心也。
「天王寺の吉次殿」がよく分からないのですが、お墓参りをされた様です。ゆかりの深い方なのでしょうか、文面からすると、お参りできたことが嬉しいけれど、悲しみもまだ日が浅いのかもしれませんね。
ちょっときになるのは、イサさんたちの兄弟、次弟・轟の下にもう二人男子がいた様なのですが、父・左源太の日記に「三男 吉次郎」「四男 徳熊」(『鹿児島県史料 名越時敏史料ー1』によると、「三男・吉次郎、四男・徳熊」)がいるので、もしかしたら三男の吉次郎さん??とも思ったり‥‥。
お墓参りに行きがけに、「佐原芳どの」方に立ち寄ったと書かれています。先日から体調が悪く寝ておられた様ですが、ご亭主が留守で一人寂しいところへの来訪を喜ぶ様子がわかります。
この方はこの後5月9日には宿屋を訪ねて来られ、16日にもイサさん一行が東京を離れる前にお土産を持って来られます。
墓参の帰りに「お筆どの知人」の「金杉の多田親愛さん」という方のところを訪ね、ご馳走になった上に雨がひどかったこともあり、車で送っていただいたんですね。
合間には櫛やお薬のお買い物も出来た様です。3日から雨続きですが、明日のお天気は‥‥さてどうでしょうか?