その後の私の体調ですが、5月は咽頭炎が長引き、それもどうにか落ち着いたかと思ったら突然熱が出たりと体調が不安定で、6月になってようやく元気が出てきました。
ところで、今月23日は母の命日。亡くなって10年になります。
本来なら7月23日に10年祭を行うところですが、その前日、22日は皆既日食です。
県外の兄弟が帰省するのにも何かと混雑しそうだし、
下手すると飛行機のチケットも取れなかったりするのでは?!ということで、
1ヶ月ほど引き寄せて6月27日の土曜日に無事執り行いました。
兄も弟夫婦も、それぞれ帰省することはあっても、一斉に家族が揃うのはずいぶん久しぶりでした。
そう、母が入院した10年前以来のことです。
この10年、長いような、あっという間だったような‥‥。
とにかく、一区切りついた感じです。
父もお蔭さまで、3月のことがウソのように元気になりました。
まぁ、歳が歳ですから無理は利きませんが、夕べもその前も、夜中にウィンブルドンの決勝の中継を観たりして結構無茶をするので、相変わらず気が気じゃありません。
(さっきまで「眠い眠い。。」と言ってて、今は寝床に入っています。)
さて、先月15日にプチ散策をしました。市内の名山堀と言われるところです。
戦後、台湾から引き上げてきた父の両親が、吉野町の親戚の家に身を寄せた後に一時期暮らし、その後祖父が息を引き取った場所がこの近くにあるらしいのですが、これまでちゃんと場所を把握していなかったので気になっていました。
そこで、体調も快復したことだしこの日はお天気もよかったので、ちょっと思い立って散歩がてらに父と出かけてきたのです。
ちょうど近くには、時々食事をするのに利用しているお気に入りのドルフィンポートという施設があるので、そこの駐車場に車を止めて、テクテク歩いて回りました。
ここからスタート。古い石垣は堀の跡?それとも桟橋跡?
左にNHK鹿児島放送局の建物。通りを挟んで琉球海運の建物が見えます。
このあたりが藩政下の琉球館の跡なのかな?それとも関係ない?
桟橋通から城山方面を望む。
通りには温泉があります。
通りを挟んだ路地を少し入ったところには、海外の観光客にも利用されているらしい旅館がありました。
↓易居町のinformation旅館。
旅館の奥は大通りへの抜け道です。
散策中に桜島が爆発!噴煙が上がりました。
そろそろ目的地の、祖父母が暮らしていた辺りに差し掛かり、父に詳しく訊いてみると、当時「錦城保育園」だか「錦城幼稚園」の園内に、外地から引き上げてきた人たちが暮らせるように土地を貸してくれていたそうで、私の祖父母はそこに俄作りのバラック小屋を建てて住んでいたらしいのです。
そして、近くにはお寺があったとのこと。
角を曲がってみると‥‥、ありました!不断光院というお寺。私、これまで知りませんでした。現在は一部工事中のようでした。
ずいぶん古そうな仁王像が立っています。
場所は鹿児島市役所近く。写真に写った市電(路面電車)の向こう側の建物が
市役所。
市役所側から見た不断光院遠景。隣には駐車場。先程の旅館奥の抜け道はお寺の横を通っていました。
結果、父の記憶によると、
その錦城保育園があったのはこの辺ではないか?ということになりました。
これ以上は確認しようがないということで、
みなと大通り公園を横切って名山堀界隈の散策に向かいました。
みなと大通公園の噴水。通りの向こうに桜島の稜線が見えます。
先程の噴煙も風に運ばれ、もう薄れていました。
*続きは『名山堀散策2』へ。
*8/16追記 :「琉球館跡」は現在の長田中学校内にあるそうです。
<鹿児島市のホームページ>